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 リレーエッセイ

  2002年11月  「癒しということ」  菊地正毅

  2002年12月  「みんなに知ってほしい習志野市の保育」  藤田

  2003年 1月  「これからの都市計画まちづくり」  村山和彦

  2003年 2月  「ガンコおやじのススメ」  spline鈴木

  2003年 3月  「歯の話その1. 噛むことは万病の薬?」  菊地正毅

  2003年 4月  「啓蟄」  花むらさき

  2003年 5月  「住む場所を決める」  藤田

  2003年 6月  「地域のみんなで子育てを!」  植竹

  2003年 7月  「いびき」  Terry

  2003年 8月  「とある教師の悲しい時」  佐々木智光

  2003年 9月  「40代、夜遊びのすすめ」  菊地正毅

  2003年10月  「『赤ずきん』でなく」  Terry

  2003年11月  「秋が好き」  藤田

  2003年12月  「外の空気」  Terry

  2004年 1月  「あるクリスマスの夕方」  菊地正毅

  2004年 2月  「子供向け番組があつい?!」  藤田

  2004年 3月  「うまい・早い・安い!」  花むらさき

  2004年 4月  「学校について」  藤田

  2004年 5月  「春風突風」  花むらさき

  2004年 6月  「習志野市の水はおいしい?」  Human播本

  2004年 7月  「ふるさと」  植松弘樹

  2004年 8月  「ネット20年」  藤田

  2004年 9月  「今こそ昔の外遊びを」  佐々木智光

  2004年10月  「天のお恵み」  花むらさき

  2004年11月  「ちびねずみの病院大冒険」  植竹

  2004年12月  「大腿骨頚部内側骨折!!」  高橋由美子

  2005年 1月  歯の話その2.「入れ歯にならないための処方箋」  菊地正毅

  2005年 2月  「鬼の思い出」  佐々木智光

  2005年 3月  「インドネシア政府国民に助言」  村山和彦

  2005年 4月  「習志野の自然、補足と雑感」  spline鈴木

  2005年 5月  「代返」  村山和彦

  2005年 6月  「お祭りばんざい」  西田 健

  2005年 7月  「中高年登山ブームに思うこと」  Human播本

  2005年 8月  「時事ネタで行こう」  植松弘樹

  2005年 9月  「アメリカのボランティア事情」  Terry

  2005年10月  「お子様ランチ」  藤田

  2005年11月  「習志野市次世代育成支援対策行動計画について」  植竹

  2005年12月  「秋の夜長は映画で」  菊地正毅

  2002年11月  「癒しということ」  菊地正毅


 治療して病気がよくなることを治癒という。つまり病がなおる(治)だけではなくて気がいやされる(癒)、WHOの提唱している健康の定義にも一致する。
    身体的=治
    精神的=癒

 最近よく癒し系という言葉が見受けられるようになった。それだけ世の中が治ではなくて癒のほうを求めている証拠かもしれない。医学の分野でも心のケアがだんだんもとめられてきた。身体的な健康だけでは幸せにはなりえないということがだんだん患者、医師に共通の認識として受け入れられてきている。高度精神活動を行う人は絶え間ないストレスの解消先を心の健康に求めているのかも知れない。

 ネットを使えば、世界は一見狭くなって色々な情報とともに人との出会いが簡単に手に入るような錯覚に陥っているが、果たしてそうであろうか?メールやインターネットはあっという間に人と知り合える。が、同時にあっという間に他人になれる。そこでは延々と本当か仮想かわからない話が続けられる。確かめようもないし、自分が自分を演出できる。相手も自分の理想に勝手に思い込むことで、理想と現実が交錯していく。

 確かに仮想現実の中での恋愛も友情もありえる。しかし癒されるのはやはり人間の手や言葉や顔や人そのもの存在ではないだろうかと最近思う。顔を見ればほっとする人もいるし、声を聞けば元気になる人もいる。たとえ何年も話もしてなくてもその人が手に届くところにいると思うだけで、精神的な支えとなる。一度きりしか言葉を交わさなかった人でもその人を心の支えとして暮らしていくこともある反面、毎日メールを交わしても3ヶ月で名前すら忘れることもある。

 もちろん意見の相違、勘違 罵倒、嫉妬、誤解、距離で人は離れていく。出会うことで傷つくこともある。傷ついた心はなぜ出会ったのかと後悔するに違いない。しかし傷ついた心は人によってまた癒される。

 2度と会うことができない人も沢山いるだろう。ただ、その人と出会えたそのこと、そのことがまた何かあったときにふっと自分を癒してくれはしないだろうか。逆に自分の存在が世界のどこかで、誰かを癒すことができているかも知れない。底の見えない孤独感、飢餓感を埋めてくれるのは自分を必要としてくれている誰かじゃないか。

 そういえばメールを手に入れてから最近夜を徹して語り合うっていうことが、めっきり少なくなったなあ…。秋の夜はベンチに座ってとりとめもないことをゆっくりと誰かと話したくなる。

 私の癒しは人との出会い。

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  2002年12月  「みんなに知ってほしい習志野市の保育」 藤田


 保育園に関しては当事者にならないと、なかなか目が向かないものかも知れません。今回は習志野市の保育に関する話です。交通事情に関する話も出てくるので、当事者でない方も読んでくれると嬉しいです。

 習志野市の保育所(保育園とは呼ばない)について、保育士さん達は本当によくやってくれているし、制度も親にやさしいものになっていると思います。制度については、習志野市役所のHP(ホームページ)「保健福祉部」の所で紹介されています。各保育所のページでは「一日のすごしかた」や、「年間行事」も紹介されていて興味深いですよ。ここに書かれていない部分として、「入所式がない」、「慣らし保育は義務ではない」という部分が働く親にとっては有難い制度です。さて、そういう保育所に関して大きな不満が2つあります。1つは「布団の持ち帰り」、もう一つは「時間外のおやつ」です。

 「布団の持ち帰り」とは市全体の話として、昼寝用の布団は各自親が用意します。そして、保育所によって対応は違うのですが、うちが利用している所では週末の布団持ち帰りを推奨しています。これの何が問題かといいますと無理矢理、自転車に載せてふらふら帰る人は交通事故が心配ですし、布団の移動の日のみ車で来る人も多く、保育所の周りの路上駐車が増える事が問題になると思っています。ただ、徒歩なら大丈夫かというと、子供がまだ小さくひとりでなかなか歩いてくれない、気をつけないと飛び出すような時期は、布団と子供を抱えて歩いての通所は厳しいです。持ち帰り推奨でない所は、布団乾燥の為に業者が入っているとのこと。市外の保育園では、レンタルの布団なので、持ち帰りが必要ない所が多いようです。

 もうひとつの「時間外のおやつ」とは、通常保育が4時30分で終了した後、延長保育に入った午後5時に食べるおやつです。通常保育時間内の一回目のおやつ(午後3時前後に食べる)は、保育所側で用意されます。こちらは栄養のバランスもよくとても満足しているのですが、「時間外のおやつ」は各家庭で用意することになっています。早朝に用意したものを午後5時まで保管することを考えるとどうしても「腐らないもの」を優先してしまい、市販のせんべいやクッキーばかりとなってしまいます。ヨーグルト等は冷蔵庫に入れてもらえます。毎年の市への要望のアンケートの項目に、「時間外のおやつ」について用意して欲しいと上がるのですが、市からのこの項目に関する答えは実にそっけない現状維持となっています。

 私が抱える2つの不満は、現状のままでよいと考える人もいるかも知れません。なので、「お金を出せば受けられるサービス」として選択枝を増やしてもらえるといいなと思っています。上記2つに加え、レンタルおむつなども選択出来ると有難いです。

 最後に2つお知らせを。
 1. ファミリーサポートセンターの会員になってください!
 詳しくは、市役所のHP「保健福祉部」-「児童福祉」の最後でも紹介されているのですが、市民の子育て助け合い制度です。保育所利用の我が家でも、朝晩や休日にお役に立てるかもと提供会員に登録しています。実際、数回依頼も受けました。同じ保育所の方の送り迎えだと、比較的楽に協力できますよ。

 2.習志野市の保育所に関するエッセイ
 友人が、エッセイを連載しています。よかったら、見てください。
    http://www.mpchiba.com/
    「船橋・習志野版」-左のメニューから「このまちが好き」
    「今日もママチャリが行く!」保育園ママたかぽ

 彼女とは、出産前日に参加した「ママ・パパになるための学級」で知り合いました。5か月以降の妊婦対象なのに、二人とも臨月で参加しているのは、働く母親ならではって事でしょうか?(笑)。現在は、主にメールで交流しています。

 習志野市の保育、少しは興味を持ってもらえたでしょうか?

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  2003年1月  「これからの都市計画まちづくり」 村山和彦


 先日、千葉県自治校(注1) で「魅力ある商店街をつくる」をテーマになんと3時間講義をしました。講演は相当な回数やっているのですが、1時間ずつ3回10分の休憩を挟んでやるのは初体験でした。県下の商業振興担当の若手職員27人が生徒でした。習志野市からも1人おいででした。その内容の骨子を書きましょう。

 これからの都市計画は「美しき縮小」です。バブルに至る100年間に、日本の人口は3倍になりました。今は100年で1/3の勢いで減少しています。100年経って本当に1/3になっているかどうかは分かりません。しかし30年後に日本の人口が15%減少していることはほぼ確かです。30年後に30歳になる人は数えられるわけですからそんなに狂いません。

 千葉市の情報開示が一番進んでいますので、その発表されている統計と2015年の将来構想をグラフで繋げると大変面白いけど、大変な問題が分かります。(注2)先ず都市計画の分母は人口ですが、1995年の千葉市の人口は85.7万人、市の構想では2015年の予想人口は100万人です。厚生省人口問題研究所のwebサイト(注3)で推計してみると92.7万人です。

 千葉市の年間商品販売額は1995年4兆5千億円、2015年の予想は10兆4千億円です。これが公開されている数字です。割り算だけやってみましょう。

1995年の一人当たり商品販売額は、
4兆5千億円÷85.7万人=525万円/人

2015年の予想一人当たり商品販売額は、
10兆4千億円÷100万人=1040万円/人

1040万円/人÷525万円/人=1.98

1995年の千葉市の1人当り市民所得は414万円、2015年の予想では594万円です。
594万円÷414万円=1.43倍

 1995年の年収の1.43倍を2015年に得ている自信のある方いますか?

 1.43倍の年収の伸びで消費が2倍になりますか? それよりもなによりも、1995年の倍のお買い物が出来ますか? 2015年には商品販売額を倍にするために、千葉市民は6食を食べる義務があります。自動車は一台を二台に、住まいの外に別荘を。このような右肩上がりの予想値が実現するとはとても思えません。習志野市の将来構想についても割り算をしてみましょう。

 NPO千葉まちづくりサポートセンター (注4)は千葉市議会議員全員にこの割り算を配布しました。しかし、千葉市ではこの将来構想に従って川鉄跡地に巨大商業施設の立地を認めています。このように帳尻あわせの予測に基づいて現実の事業を行うと、市民生活は大きな打撃を蒙ります。千葉市内の地域商店街は致命的な売り上げ減少に見舞われるでしょう。また習志野市、市原市等隣接都市の蒙る影響も無視できません。

 最早、都市間競争、地域間競争の時代は終わったのです。「美しき縮小」が出来なかったらどうなるでしょうか? 1億人の人口に、1億3千万人居住できる都市施設等整備されていて、足りないのは低賃金労働者だけとなったら、国連から数千万人単位の移民受け入れを求められるでしょう。日本の国民はどちらを選ぶのか、判断の時期です。過剰な都市施設整備の行く手にあるものを知って欲しいと思っています。


(注1)千葉県自治センター千葉県自治専門校。千葉県の自治体職員の研修施設です。
(注2)ちば市政だより臨時号(平成11年6月1日)新総合ビジョン原案特集より
(注3)厚生省人口問題研究所 http://www.ipss.go.jp/
(注4)NPO千葉まちづくりサポートセンター http://www.jca.apc.org/born/

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  2003年2月  「ガンコおやじのススメ」 spline鈴木


 私は習志野市内の小学校を二十数年前に卒業した。濃い部活をやっていたので、学校に居た時間はたぶん他のどの子よりも長かったと思う。とくに大会が近いと夜8時ぐらいまで練習していた。そういうときの迎えは、母だった。父が学校に来た記憶はない。おそらく運動会には一度か二度、来てくれたのだろうが、申し訳ないことに私の記憶にはまったく残っていない。

 当時の親の年齢に自分がなってみると、確かに父親として学校へ行く機会はほとんどない。PTAは妻がやってくれているし、週五日制の影響もあるのか学校の行事のほとんどが平日に行われる。もちろん気にはなっているのだが、別の世界だと思えば思えない事もなく、時間の経過とともにそれが当然になっていったし、考えることもなくなっていた。

 そんなときに小学校からあるお誘いの手紙が届いた。校長とPTA会長の連名だった。「2000年7月1日におやじの会の決起集会を行うので来てください。お父さん方のもっている素敵な力を子どもたちに貸してあげて下さい。」そう書かれてあった。決起集会に参加して驚いた。児童数600人(世帯数ではない!)に満たない学校で、50名近い男親が集まっていた。やはり関心はあるのだ。曜日とか時間の問題で小学校の敷居が高かっただけなのだ。

 そんな経緯もあって、「おやじの会」なるものに属している。そして、今日も学校に行った。教頭先生が、「おや、鈴木さん、久しぶり」などと言うので、「おとといも学校で会ったじゃないですか(笑)」のような世界にとうとう入り込んでしまった。

 いざ、学校に出入りしてみるといろんな子供がいることに気がつく。いろんな親がいるのだから、いろんな子供がいて当然である。それは判るが、どうしても気になることもある。最も引っ掛かったのは、挨拶の出来ない子がいることである。今の世の中、知らない人に声をかけられたら、逃げ出したほうが安全という悲しい現実があるのはわかっている。しかし、何回かの行事でお互いに顔を知っているはずの私にでさえ、こちらから声をかけてもおどおどと、知らぬ顔をする。元来しつこい性格なのでそういう子を見つけたら追い回して挨拶している。大抵は、そのうち子供も折れて挨拶をしてくる。難攻不落な子もいるが私だってあきらめない。「人見知りをする」では許さない。そんなの世の中で通用しない。挨拶は真剣勝負。先に大きい声で挨拶した方が勝ちなんだぞ、と。「ありがとう」だって、相手の顔を見て言わないといけない。よそ見して言う「ありがとう」なんて本当のありがとうではない。と、どんどんボルテージは上がる一方なのである。

 いたずらする子も周りに迷惑をかける子もいる。ちょっと前はこちらも見て見ぬ振りをしていたが、少なくとも小学生は言えば止めてくれる。それがわかったので最近は積極的に声をかけている。子供は案外素直で本当に教え甲斐がある。こういう自分に、自身、正直驚いている。ふと思い当たったのだが、子供の頃にいた親でもないのにやたらうるさく叱る「近所のガンコおやじ」、まるでアレではないか? しかし、子供を育てるのは親だけではあるまい。もっとも私は理不尽に怒っているつもりはさらさらないので、自分があのガンコおやじと同列になるのは納得行かないが・・・。やはり同列か?

 ならば皿まで食らってやるか! ガンコおやじになりきると結構楽しかったりするかもしれない。

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  2003年3月  「歯の話その1. 噛むことは万病の薬?」 菊地正毅


 日々、歯科診療に携わっていると「噛む」ということの何気ない行為が、いかに人間の健康とかかわっているかということに度々気づかされる。

 実際、咀嚼という行為に多くの意味があることは古くから研究されてきている。よく噛むことが癌、むし歯、歯周病の予防になることは以前から知られている。咀嚼は脳に血液を送る最良の運動であり、特に発育盛りの子供にはよく噛む習慣をつけることは非常に脳の発育に役立つ。受験勉強をさせる前にぜひよく噛める歯を育てていただきたいものである。幼児や児童に正しい咀嚼過程を教えることで、喘息やアレルギーを予防できたという報告もある。また介護の現場でいままで寝たきりだった老人が義歯をいれたとたんすくっと起き上がって、現場の方々が驚いた様子のビデオもある。

 「噛む」ためには当然、歯が必要である。しかし、歯の方も失われている。平成11年歯科疾患実態調査では一人あたりの平均喪失歯は
     60〜64歳   8.01 本
     70〜74歳  15.56 本
となっている。親知らずを除いて28本あった歯が75歳で半数以上失われている。80歳までにはもっと急速に歯は失われることになる。8020運動はいまだ実現されていない。

 野生の虎が犬歯を失うということは死を宣告されたことと同じことだと聞いたことがある。生肉を食べるためには丈夫な歯がなければ噛めない。噛めないことは致命的なのだ。ところが、人の場合は食物に火を通し、調理をすることによって噛まなくても食べられるようになってきた。人は噛む回数が弥生時代の1日3000回から現在の食生活では1000回へ減ってきているといわれている。確かに最近の若い人は顎がほっそりとして噛む筋肉がいかにも弱いという印象を持つことが多い。実際にファーストフードはほとんど丸呑みできるものが多い。食生活上は噛めなくてもさほど問題は無いかもしれないが、実は噛めないということが様々な健康上の問題を引き起こす。

 生活習慣病である歯科疾患に対してはまず正しい知識を得ること、しかもなるべく年齢の若いうちがよい。知識を学んだら実践プログラムを現実に実行することで、壮年期の歯の喪失はかなりの確率で回避できる。歯を失わず、意識して「咀嚼」することが、現代人には必要なのかもしれない。

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  2003年4月  「啓蟄」 花むらさき


 啓蟄は二十四節気の一つで、春の訪れと共に虫が地中から這い出てくると言われる。今年は3月6日。だがそれは前夜に起きた。リビング兼パソコン部屋の床で1センチほどの虫を見つけた。私は虫が大嫌いであるが、一応は観察した。黒いが蟻にしては脚が長い。蚊にしては頭の形状が違う。腑に落ちないまま始末して、それっきり忘れていた。

 恐怖はその翌週、それも13日から始まった。深夜、なんとパソコンキーボードの横をミニチュアのカマキリがヒョコヒョコ歩いている。2センチとはいえ、どう見てもカマキリだ。心臓は早鐘を打ち、瞳孔が開き、悲鳴は声にならない。敵も気配を感じたのか、フィギュアのように固まっている。

 ようやく気を取り直してなんとか退治した。先週の虫も同じだったに違いない。あれはプロローグだったのだ。タマゴが室内で孵化したのだろうか。そういえば夏にこの部屋でカマキリを数回見かけたことがある。おそらく庭仕事のエプロンか帽子についてきたのだろう。その都度、怖々捕獲し庭に放った。しかし待てよ。カマキリのタマゴは一つから数百匹生まれるのではなかったか? 部屋の中にウジャウジャ出てきたらどうしよう。大きな眼でじっとこちらを見つめるカマキリは虫の中でも特に気味が悪い。一度バタバタと飛んだところも目撃したが、幼虫も飛ぶのだろうか。蚊取り線香でも焚いてみようか。なんだか背中がムズムズしてきた。もしや、と慌てて服を脱いでみる。色々想像すると夜も眠れない。

 だが手をこまねいている場合ではない。敵を知るためにWeb検索だ。昆虫博士君のサイトを見つけ、早速問合せた。2センチなら一緒に孵化した幼虫を共食いしながら生き延びた幸運な固体なので、次々見つかる事はないだろうと返事がきた。「幸運な固体」は2匹とも極楽へ行ったのだ。ようやく安心して眠る事ができた。

 しかし翌々日、パソコンデスクの下に置いてあったパーツ入れの中にまたしてもいた。「幸運な固体」は3匹だったのか。箱の中だったので余裕でデジカメ撮影し、得意げに例の博士君に送ると、今度は仰天するような返事が来た。これはハラビロカマキリの幼虫。2センチとは脚まで入れていたんだね。普通はアタマからオシリまでだから、勘違いした。この大きさなら生まれて間もないので、まだ沢山潜んでいるだろう。

 うわぁ、またしてもパニック! どうしよう? とりあえずパソコンデスクの下に殺虫剤をたっぷり噴霧し、部屋を締め切った。愛用のパソコンは心配だが、背に腹は代えられぬ。2時間後、床に置いたパソコン本体の前に、まるで蚊のようなミクロサイズのカマキリの死骸が15匹もあった。一日中パソコンの電源が入って暖かいので、住み心地が良かったのだろうか。配線を外して懐中電灯をつけ、殺虫剤もそばに置き、大掃除を始めるが何も出てこない。さっき死んでいた15匹が共食いの生き残りだったのだろう。そうに違いない。

 安全地帯となったパソコンに向かって仕事を始めた。数時間後、ふと傍らの窓に目をやって驚いた。私から30センチの至近距離、レースのカーテンにミクロのカマキリがしがみついているではないか。そうか、1匹目は別にして、日を追う毎にだんだん小さな物を見かけると言うことは、現在進行形で生まれているに違いない。そういえば成虫は天井に張り付いていた。今まで下ばかり探していたが、天井近くを探索する。ついにパソコンの1メートル後方、厚手のカーテンの襞の中に産み付けられたタマゴを発見した。この窓は夜には雨戸を閉めるので、厚手のカーテンは両側に寄せたままだったから気付かなかったのである。可哀想だが殺虫剤をたっぷりかけてから引き剥がす。タマゴは固いので、ティッシュを分厚く重ねれば私でもさわれぬことはない。折角だから記念撮影もした。殺虫剤をかけたとはいえ、生き残っているかもしれない。祟りが怖くて潰すこともできず、近所の公園に行って「もう家には来ないでね」と声を掛けて置いて来た。

 ホラー映画の中に迷い込んだような数日だった。まずは一件落着だが、家具の裏に潜んだ「最も幸運な固体」がそのうち私の前に現れるかもしれない。映画のエンディングのように。



大きな写真はお好きな方だけどうぞ。
この写真の6倍です。

この事件の続編は「総合掲示板」にあります。

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  2003年5月  「住む場所を決める」 藤田


 5月となり、春からの新生活も落ち着いて来たところでしょうか? 住まいを新しくされた方も多いのではないでしょうか。

 私は現在習志野市に住んでいるわけですが、親元を出てから数回の引越しを経験した上、自分なりに住む場所を決める条件を以下のように考えていました。

  1.座って通勤出来る可能性が高い
     JR津田沼駅からは、始発も出ています。
     徒歩通勤もいいですが、会社が都心の場合家賃が高すぎる。
     満員電車が苦手。始発でないと、たぶん座れない。
  2.公園や、畑がある
  3.買い物、外食が便利

 追加で、結婚してから習志野市を選んだ理由は、以下の通り。

  a.近隣に住んでいたので土地勘がある
  b.保育所の待機児童が少ない

 実際に住んでみて、通勤はほとんどの日は座る事ができ、保育所にも無事入れまして、条件に関しては満足する結果となっています。

 実は、先日も部屋探しをしました。自分が住むためでなく、母が転職で上京するための部屋探しです。実家は新幹線も通っていないような田舎にあるのですが、母が以前一緒に仕事をした方に、「是非ベテランの技術を若い者に伝えて欲しい。」と頼まれ、一大決心(?)の上、上京する事になりました。母が関東に住むのは、母が専門学校生だった頃以来数十年ぶりです。

 部屋探しにおいて、母の条件は以下の通り。

  1.職場へ徒歩あるいは自転車で通え、バスが便利な場所
    →都会の満員電車は1駅でも乗りたくないそうです。
  2.バス・トイレ別
  3.防犯
  4.日当たり

他の条件は、優先度は下がりますが、
  5.家賃
  6.広さ
  7.買い物のしやすさ

 インターネットでの検索等を利用して、物件を探した所、職場が都心に近すぎるせいか、家賃が折り合うものは完全な独身向けでバス・トイレが一緒、それより高いものは豪華ファミリー向けマンションという感じでした。それでもいくつか候補を絞り、いざ部屋を回ってみると、「洗濯物が干しづらい」「部屋が古すぎる」「階段しかないのがきつい」など、思わぬ難点がみつかり、なかなかピッタリのものが見つかりません。3日間回って、やっと2つの候補を見つけて第一希望との契約へと話を進めました。

 ところが、家主さんの方から断られてしまったのです。理由は、年齢が高いということでした。職業を持っているので年齢は問題ないはずと不動産屋の人には、言われていたのですが…。家主さん側では、入居者の年齢層をなるべく揃えたい等の事情もあるようです。結局、第一、第二希望共一旦は断られたのですが、職場に相談して「法人契約」にするという条件で、第二希望の方でやっと契約が成立しました。

 日本はどんどん高齢化していくのに、高齢者にあまり優しくないのだなと今回感じました。習志野市にはないようですが、一部の自治体では高齢者(65歳以上等)の住居探しの援助をしている地区もあるようです。それだけ問題となっているのでしょうね。

 こうして母の住む場所も決まりましたが、皆さんは、満足できる場所にお住まいでしょうか?

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  2003年6月  「地域のみんなで子育てを!」 植竹


 ならしのファミリー・サポート・センターってご存知ですか? 略してファミサポ。「地域のみんなで子育てを!」をスローガンに、育児の援助が出来る方(提供会員)と育児の援助が必要な方(利用会員)を対象とした会員組織です。あるときは提供、あるときは利用という方(両方会員)もいます。

 ファミサポは習志野市が運営しており、制度や入会の案内は市役所のホームページ「保健福祉部」-「児童福祉」内に載っています。簡単に言うと家庭で行なう有償の保育ボランティアです。ここでは、両方会員である私の活動内容と現在の会員状況等をお知らせしてファミサポの内容を少しご紹介したいと思います。

 私が入会したきっかけは、多くの利用会員がそうだと思いますが、息子が生まれたことでした。実際には私が入会した時点ではまだ、息子は生まれていませんでした。まあ、生まれてからだといろいろと忙しいだろうと思い、その前にというところでした。共働きの我が家では、何かあったときに代わりに息子の面倒を見てくれる親が近くにいないので、利用することは必ずあるだろうと思っていました。息子が生まれるときにファミサポの制度が発足していて幸運でした。私が両方会員として登録したのは、息子を預けるだけではなく、自分のできる範囲で子供を預かることが可能だと思ったからです。それに、息子にとって、異なる年齢の子供と交流することはプラスになるでしょう。ちょっと気負って言えば、子供は親以外の人達(最も身近なのは地域の人達)にも育ててもらう、接するべきだという、哲学みたいなものが私にはあります。リレーエッセイ2003年2月のガンコおやじの話も「地域で子育て」の一例だと思います。私も両方会員で実践してみようと思ったわけです。

 預かる立場の提供会員としては、これまでに12回程度、子供を預かりました。会員になった当初は私の育児休暇中や土日を想定していたのですが、実際は主に同じ保育所の子供のお迎えと帰宅後の預かりでした。時々、ファミサポから「今日、○○君のお迎え、できますか?」と仕事中に突然電話がかかってきたりしますが、息子のお迎えのついでなので、比較的やりやすいです。息子もお友達と一緒に帰り夕食を食べたり、さらに遊んだりして大喜びです。時には同じ保育所でも全然知らない子供だったりしますが、すぐに息子共々お友達です。次の日から、保育所で息子は一緒に遊んでいたりします。

 逆に、利用会員としてこれまでに6回ほど、息子を預かっていただき大変助かりました。その過程で感じたのは、私の認識不足だったのかもしれませんが、会員の御家族の方にも少なからず、影響を与えているんだということでした。基本的には提供(両方)会員の自宅で預かっていただくので、その会員の御家族も息子と遊んだり、息子に接しないまでも、家の中で世話をしている会員の姿を暖かい目で見守ることにより、提供(両方)会員の御家族の方は会員をまたサポートしているんだ、一緒に子育てに参加してくれているんだと思うようになりました。一方、息子にとっては、地域のたくさんの方々に接し、お世話していただき、あるときは、お兄ちゃん、お姉ちゃんに遊んでいただき、とてもいい経験をさせていただいていると思っています。こうしてファミサポを通して、「地域で子育て」の輪が広がっていきました。

 ファミサポの活動の内容は2カ月おきに発行される会報で会員に配られており、会員の人数やイベント、研修の案内なども載っています。平成14年3月末現在の会員状況は、利用会員:596名、両方会員:123名、提供会員:123名で、平成14年度利用件数は2,627件(注1)でした。これらの数字から子育てを通じて習志野市内で多くの交流が行なわれていることがわかります。また、利用会員に比べ、提供(両方)会員が少ない状況であることもわかります。

 預けたい方はもちろんですが、地域に貢献したい、子供と接したい等と考えている方はファミサポ事務局まで連絡(TEL047-452-3533)してください。提供会員は自分の都合のつく時間帯を選択できますので無理なく引き受けられると思います。財団法人女性労働協会によるとファミリー・サポート・センターは全国の各市区町村にありますから、習志野市以外の方でもご自分の地域で活動に参加できます。ファミリー・サポート・センターがまだない地域では提案してみるとよいでしょう。


(注1)平成14年度の活動状況(TOP3)
  1.保育所・幼稚園のお迎え及び帰宅後の預かり:933件
  2.学童保育からの帰宅後の預かり:296件
  3.保育所・幼稚園のお迎え:133件


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  2003年7月  「いびき」 Terry


  いびきが聞こえてきた。確かにいびきだ。朝7時台の総武線、満員電車の中である。携帯の着メロで変な音には慣れっこだが、これには少々びっくりした。私も幸運にも座れた日には熟睡モードになることが多い。しかし長年総武線に乗っているが、いびきはさすがに耳慣れない。

 ここからは勝手な想像だが、彼もきっと「世界一幸せなサラリーマン」のひとりだろう。私は、職場や取引先などでときどき発見するお気楽な部長さんなどにこっそりこのあだ名をつけている。さして仕事をしているように思えないが、年功序列に支えられ、毎日真面目に勤めて安定企業の管理職になった(と思われる)人がまわりに一人や二人はいるものである。

 いびき氏が寝ている総武線ボックス席では、向かいの彼は熱心に「中小企業診断士」のテキストを読んでいるし、隣の彼はモバイルパソコンでEラーニング中である。いまや、電車の中は新聞を読む人より勉強している人の方が多いくらいである。みんな「歌って踊れるサラリーマン」を目指しているのだ。いびき氏のごとき「幸せなサラリーマン」は絶滅品種になりつつある。

 若者はまだ勉強する元気が残っているが、40歳前後にもなると、バブルの頃からの猛烈な仕事のツケが回っている人が多い。突然のひどい腰痛で寝込んだのはうつ病の始まりだったとか、パニック症候群で満員電車に乗れなくなったとか、身近な人から話を聞くようになった。OL病だと思っていたメニエール氏病も男性のなかでめずらしくないようなのである。「幸せじゃないサラリーマン」が増えているようなのだ。

 物理的な脅威もある。ほろ酔い気分で公園を歩いていたら後ろから角材で襲われた話など物騒な話を耳にする。前に勤めていた会社の同僚は仕事で渋谷方面に出かけるときは、裏道は通らないといっていた。昼間であってもおやじ狩りにあう可能性があるのだという。「幸せなサラリーマン」は、社会で居場所をみつけられない少年達のターゲットになっているのである。

 いびきをかいて寝ている場合ではないのだと、喝を入れたいところだが、「幸せなサラリーマンになり損なった個人的な嫉みも多分にあるかもしれない。まあ、ご同業のよしみ、東京までいびきに付き合うとしよう。


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  2003年8月  「とある教師の悲しい時」 佐々木智光


 悲しい時〜 悲しい時
 1.家庭訪問に行ったら 俺の住んでる部屋より玄関が広かった時

 教師になって1年目、私は柏のワンルームマンションで一人暮らしをしていました。部屋は6畳くらいでしょうか。さて、4月に初めて家庭訪問なるものに行きました。最初の勤務校には、長屋門があるような立派な家が多かったのです。その中の1つがIくんの家でした。玄関に入ってびっくり! この家の玄関、俺の部屋より広い! たっぷり8畳近くありました。自分は、人さまの玄関より狭い部屋に住んでいるのだなと悲しくなりました。ちなみに、今年で教員14年目ですが、後にも先にもこんなに広い玄関にはお目にかかっていません。

 悲しい時〜 悲しい時
 2.家庭訪問に行ったら 俺の下手な字の賞状が飾られていた時

 家庭訪問ネタその2。私は教員になるまで、学校でもらう賞状は、絵だったら展覧会の関係者が書いているものだと思っていました。しかし実際は、学級担任が書いているのです。ただ、校内に習字の上手な先生がいる場合は、その先生に書いてもらう学校もあります。私の場合、周りにそういう方がいなかったため自分で書くことになりました。自慢じゃないですが、小学校の頃の通知票で “文字をていねいにかく” という項目はいつも×がついていましたし、パソコンを使い始めたのも、字がきたないからなのです。教員3年目、家庭訪問で居間に通された私は目を疑いました。そこには、その子がもらった賞状がぐるりと四方に貼ってあるではないですか。しかも、私の書いた下手な字のものもある。それも習字の賞状だったから、なお悲しい。ペン習字、習おうかなと思いました。ちなみに、今は、パソコンを使い毛筆体で印刷しています。見た目は美しいが、暖かみに欠けるのが難です。

 悲しい時〜 悲しい時
 3.遠足に行ったら バスに酔った子に手のひらに吐かれた時

 これも1年目のできごと。私は2年生の担任で、バスに乗って遠足にでかけました。今なら、バケツやエチケット袋など用意万端で臨みますが、何もわからなかった頃でした。目的地に着いて、バスから降りた直後、顔色の悪かったMくんが、「先生、気持ち悪い」といっていきなりもどしました。私は、反射的に両手をまるで水をすくって飲む時のように、差し出していました。その上を、生暖かいものが、指の間をしたたり落ちる感触、もう10年以上も前の事なのに、今でも鮮明に覚えています。(食事中の方、これから食事をされる方、すみません)

 悲しい時〜 悲しい時
 4.学級懇談会をしたら 参加者が4人だった時

 若い頃は、学級懇談会というのがとても苦手でした。自分より年上の保護者に囲まれ、宿題をもっと出せだの、宿題はださないでほしいだの、「いったいどうすりゃいいんじゃ」状態でした。経験を積み、子どもができ、保護者との年齢差がなくなってくると、子育ての悩みや情報交換の場として楽しみになってきました。しかし、ある年の2学期の懇談会、始めてみたら参加者は4人。兄弟の多い地区なので、他の学年の懇談会にいっている方が多かったのも原因ですが、5人で何しよう?というのが実感でした。だいたい来て話を聞いて欲しい保護者に限って参加しないものでして、熱心に毎回参加されるような方には特に話すこともないので困りました。まあ、不満があって特に要望もないから参加者が少なかったのだと自分に都合のよい解釈をしましたが。

  悲しい時〜 ばかりじゃありません。日々、子ども達の成長していく様子を見ることができたり、行事やイベントに一喜一憂したり、教師って楽しい仕事だなと心から思っています。いつまでも子どもと同じ目線で、物事を見ることができる教師でいたいな。


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  2003年9月  「40代、夜遊びのすすめ」 菊地正毅


夜遊び、なんと魅力的な響き。
夜遊びは中途半端じゃだめ。
朝通勤の人とすれ違うまで遊ぶのが、夜遊びである。
帰るときに「ああっ、やっちまった」と少し後悔しなければ夜遊びとは呼べないのである。
明日のこと、家族のこと、仕事のこと全部忘れて、ふらふらになるまで夜通し遊ぶ。
朝、「おはようございます」と挨拶されると「おやすみなさい」と返す。

思い出して。
10代の頃、友人と語り明かした夜。
20代の頃、ディスコが引けて通勤者の群れに紛れて乗った始発電車。
30代の頃、酔っ払いの先輩の世話でタクシーで帰るときの朝焼け。
生きている実感がなかったか。

ところが
40代になると家庭にも責任、社会にも責任。まず体力的なものが、厳しくなる。
息子に不良といわれ、女房には「ゴミ捨てといてねっ」と玄関に張り紙をされ、近所の早起きおばさんには不審そうに見られる。
いつの頃から大人になると夜遊びはしてはいけないものになってしまった。
本来、夜遊びは大人のものだ。
大人は自分の責任で遊んでいいはずだ。

ゲーセン、カラオケ、呑み、ビリヤード、ダーツ、漫画、深夜映画と徹底して遊ぶ。
遊び方は中途半端ではいけない。
お金もケチってはいけない。
もともと夜遊びはお金がかかるものは少ないのである。
そして、できるなら勝負ものがいい。自分の息子くらいの若い衆相手に真剣勝負を挑む。できるならジュースくらい握ろう。
負けたら本気で悔しがり、勝てるまで若い衆が嫌がっても勝負する。

スローライフという一見優雅な言葉がもてはやされるが、実は強制的諦観の時代。
住宅ローンを抱え高い物価と教育費のかかるこのデフレの時代において、40代がスローライフなんて優雅なことをいってたら、たちまち自己破産かリストラされてしまうではないか。
スローライフは今の日本の事情では夢物語。
ふざけんなよ。
40代は働かなければならないんだ。

働くためには、遊ぶことが必要だ。
精神衛生上人間8時間仕事して8時間寝て8時間遊ぶ。
これが一番理想の暮らしだ。
現実はどうか。
朝早くから夜遅くまで仕事に追われ、家族に縛られ、1時間も遊ぶ時間がないではないか。仕事と家族のためだけに生まれてきたわけではあるまい。
50代になったら体力的にも気力的にも夜遊びは無理だ。

連休がある場合は幸い。
土日が休みなら金曜日に。
「遊び疲れてるから、誰も起こすなよ」と張り紙をして、寝床に入るときは至福だ。
月1回でもやってみるとその贅沢さがわかるはず。

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  2003年10月  「『赤ずきん』でなく」 Terry


 最近の同時多発的な略取監禁事件を見れば、小中学生の女の子を取り巻く社会環境が急速に悪化していることは明らかである。新聞には毎日のように学校の登下校時に車で連れ去られたなどという事件が載っている。これらは金銭目当ての誘拐ではなく、連れ回したり監禁したりを目的とする男の犯行が多いようである。先日、習志野市内でも大手スーパー店舗内で小学生の女の子が男に腕をつかまれあやうく連れ去られそうになるという未遂事件も発生した。

 親も学校も、子ども達の安全確保は悩ましい問題だ。幼児と違って、四六時中手を引いているわけにもいかない。学校は文書による啓発を行っており、子どもが単独で繁華街に出入りしない、街中で車中から乗車の誘いに乗らないなど、を頻繁に呼びかけている。
もちろん、子どもたちが自衛するのは当然である。しかし、大人である犯罪者側は「〇〇の場所を教えてほしいんだけど」、「お母さんが怪我をしたんだよ」などという巧妙な手口を連発する。最近の事件では車をぶつけて気を失わせるという手段もあった。もはや、気を付けなさいというレベルを超えていると思われるのである。

 渋谷で起きた事件では、犯人の男の仕組んだうまいバイトの話に釣られた小学生達に非があるような論調が週刊誌を賑わせていた。小中学生の女の子がかかわる渋谷の風俗が取り上げられ、「まあ、今どきの女の子はひどいわね」と眉をひそめた方も多かったのではないか。さらには、小学生達の家庭環境までが事件の原因の一つとされた記事もあったのである。しかし、一番悪い奴は明らかにだました方である。犯罪の原因が子ども達側にあるかのような扱いはやめてほしい。

 グリム童話の赤ずきんの話では、「道草を食ってはいけない」という母親のいいつけに背いたために赤ずきんはひどいことになる。これは、「いいつけにそむくと恐い目に遭うんだよ」という女の子への教育的指導と解釈されている。しかし、本当に悪いのは狼である。通常の異性関係の代わりに、少女を拉致したがる男がなぜここに来て増えてきたのか。どうしてこの男達が最低限の倫理観念も持ち合わせていないのか。これらについては、別途社会学者に分析してもらうにしても、とにかく社会は狼を退治しなければならないし、そもそも狼を増やしてはいけないのである。。そのような努力なしに、子ども達が一人歩きに気を付けて、声を掛ける大人に騙されないようにし、背後から羽交い絞めに遭わないようにするだけでは、もはや事件は防げないような気がするのである。

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  2003年11月  「秋が好き」 藤田


  「海が好き」…というギャグが昔の漫画にありました。今回のエッセイはお気楽極楽、ただ単に自分の好きをつらつら書いてみます。


 私は高知県で育ったのですが、残暑が続いた後、やっと涼しい風が吹いてきて、半袖だと寒いから、長袖一枚で外出する…その位の初秋が大好きでした。高校へ向かう道の街路樹は、葉が大きく、黄色から赤と紅葉していた覚えがあります。私の秋の紅葉のイメージは、黄色から赤へのグラデーションです。

 そして秋と言えば澄んだ空気と青空、清少納言も書いたように夕焼けがきれいです。小学生の頃、夕方スーパーに買い物を頼まれ、畑から見た夕焼けがあまりにきれいで、しばらく立ち止まって見ていました。日が暮れた直後の空、オレンジと紫と黒のグラデーションもきれいですね。最近のよしもとばななのエッセイに「高知は夕焼けがきれい」と書かれていて、だから夕焼けが好きになったのかなと一人納得していました。

 関東に出てきてからの秋のお気に入りは、以前勤めていた所にあった大きな銀杏の木です。黄色に紅葉すると見事です。仕事を変わってからも、秋になるとわざわざその銀杏を見に行ったりしていました。

 高知に比べると、関東は秋が短いです。今年の長袖一枚で過ごせた日って、3日位しかなかったような気がします。習志野市に住むようになってからは通勤路には紅葉があまりなく、淋しいです。それに夕焼けの時間は会社のビルの中か地下鉄の中なので、平日は夕焼けも見られません。毎日の暮らしから秋は遠のくばかりです。とほほ。

 そこで最近はもっぱら「食欲の秋」。さて、果物(特に新高梨!)、きのこ、秋刀魚等々ももちろんおいしいのですが、私の秋のお勧めは「チョコレート」です! 秋はチョコレートの新製品が続々出てくるってご存知でしたか? 初秋のクランチ系から冬に掛けては、ムースやトリュフ系、特に大好きなトリュフ系は新しいものを試したくてお財布とダイエットにはアイタタな季節です。

 夏の間はなんとなく敬遠していた赤ワインも秋になると飲みたくなります。私が好きなのは、タンニンが強いタイプ。葡萄の種類で言うとカベルネソービニヨン系。カベルネソービニヨンではないのですが、味が似ている「健やかワイン」だと安売りで500円位で楽しめます(^^)。このタイプのワインにはブルーチーズやガーリックの入ったチーズ等が合うのですが、私が発見したのはクルミがよく合うって事です。う〜ん、カロリー高そうですね。ヘルシーなおつまみなら、濃い鰹だしの煮物。山菜や野菜を濃い鰹だしで煮ると、渋めのワインによく合いますよ。是非お試しください。

 やはり食欲の秋だけだとまずいですよね。紅葉、澄んだ空気や夕焼けを求めて散歩でもしようかな。

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  2003年12月  「外の空気」 Terry


 仕事で煮詰まって、ちょっと気分転換に外の空気にでもあたろうと思う。エレベーターに乗り1階ロビーから外に出ると、外の空気は実は、結構煙たいのである。新入社員だった頃は、かなり昔の話になってしまうが、オフィス内は喫煙自由だった。ヘビースモーカーの上司の机には吸いかけのタバコがいつも置きっぱなしになっていて、一筋の煙があがっていたものである。やがて就業時間中は禁煙となり、さらに喫煙場所以外は禁煙となり、今ではビル自体が全面禁煙となっている。スモーカー達はある一定の周期で、24階建てのビルから1階まで降りていき、ビルの外に出て一服つけることになる。ビルの周りには、タバコを吸っている人が常時何人かはいる。仕方なく外に出たからか、ビル風が強いためか、たいていの人はビルの出入り口付近でタバコをくゆらせている。おそらく、警備員さんも気をきかしてその辺りに灰皿なんかも置いてあるのだろう。しかし、ビルに出入りするたびに、タバコの煙で燻されるのもあまり気持ちのいいものではない。

 禁煙ビルの周りだけではない。朝の通勤でも地下鉄は全面禁煙だから、地下鉄を出てからビルに入るまでの路上が唯一の喫煙場所となる。地下鉄の出口の階段を上りきったところでいっせいにタバコに火をつける。そのため、歩道を歩いているとやたらけむいのである。交差点の信号待ちだと、風上から灰が飛んできたりもする。さらに、都会だけではない。山小屋も今は禁煙。先日北アルプスの山小屋に泊まったが、日暮れ間近の穂高岳を見ようと外にでると、やっぱりタバコ臭い。みんなタバコを吸うために、冷えてきた外に立っていたのである。

 喫煙は個人の自由である。別に法律で喫煙が禁止されているわけでもない。しかし、タバコが健康にとって有害であることは、明らかなことである。世界的に公共の場を禁煙とするようになったのは、受動喫煙の害がはっきりしたからである。当初はタバコの害は吸っている本人にのみ帰属していると考えられていたので、タバコの有害性がはっきりしていたとしても、どこで喫煙しようが無頓着であった。しかし、受動喫煙、つまりタバコを吸っている人の横でその煙にあたっている人が健康被害を受けていることが明らかになったため、公共の場の禁煙化が進んだのである。自分が喫煙しないのに、横の人が吸っていたタバコの煙で肺がんになるのはあまりにも理不尽である。公共の場での喫煙は、いわば回りの人に対するゆるやかな殺人なのである。そう考えると、ビルや地下鉄の全面禁煙は非喫煙者にとってはありがたいのだが、屋内の受動喫煙が屋外にシフトしただけのようにも思われる。東京都千代田区は道路上も禁煙をすすめているが、受動喫煙防止の観点からいえば公共の場として路上こそまさに禁煙とすべき場所だといえよう。もちろん、スモーカーを締め出しても行き場がない。喫煙人口にみあっただけの喫煙場所をつくっていくことも大切である。


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  2004年1月  「あるクリスマスの夕方」 菊地正毅

 クリスマスが近づき、街にはやたら電飾が氾濫して賑やかである。昔は華やかな街を疲れるまで歩いたものである。ところが今年のクリスマスイブはなぜだか、6歳になる息子と干潟の周りの遊歩道を散歩していた。冬の潮風の匂いは独特で、海への郷愁を運んできたからかもしれない。

 谷津干潟に隣接するマンションにすんでいると、実は干潟はあまり快適な環境ではない。まず駐車場においてある車は鳥フンだらけ、しかもそのフンの大きさときたら! フロントガラスなんて一瞬にして割れたかと思うくらいの範囲だ。夏になるとアオコの大発生で、干潮のときの悪臭は漁師村出身の私ですら耐えがたい。窓を締め切った生活が続くのである。絶え間ない観光客の数もバラ園の春と秋の観光シーズンにはピークとなり、マンション前のゴミ箱があふれ出してしまう。ちょっと勘弁してほしいと思うことも多いのである。

 干潟の遊歩道に出たのは、まだ5時前。夕陽はほぼ沈んでしまい西の空は茜色から群青に変わってくる頃。干潟一面まるで深山の湖になったように茜色と藍に染まり水面はまるで鏡のようである。鴨の三角形の隊列のあとが、まるで船の航跡のように広がっている。対岸には、まだ開いている干潟観察センターの照明のあかりが水面に反射しかがり火にように揺らめく。一瞬にして車の騒音も、電車の音もなくなって静寂だけにつつまれた気がした。息子もしばらくじっと干潟を見て、「お父さん綺麗ねえ」とうなずくように見ている。小1時間も二人で黙って立っていただろうか。

 群青から黒になっていく空には解体中のザウスが見える。巨大な鉄の塊はバブルで現れ、用済みになれば取り壊される運命である。一方、干潟は都会という危うい基盤の上で、多くの努力と忍耐をのみこみ、干潟で在り続けようとしている。変わりゆくものと変わらないものが両方あっていい。そんなことを考えながら、今年は静かなクリスマスを過ごしたのだった。メリークリスマス&ハッピーニュイヤー。

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  2004年2月  「子供向け番組があつい?!」 藤田

 TVの番組改変の時期は、ぼちぼち過ぎようとしてますが、今クールでは皆さん期待のTV番組はどれでしょう? 私は子供が生まれてからというもの、しばらくドラマとは御無沙汰です。がんばってみているのは、大好きな番組「さんまのからくりTV」位で、後は子供向け番組を子供と一緒に見ています。こう書くと、同情の気持ちが沸いた方もいらっしゃるかも知れませんが、実は私、昔から結構子供向け番組好きなんです。独身で一人暮らしの頃も、平日の休みや休日早起き出来た日には子供向け番組を見て楽しんでいました。(^^;  同じような人は世の中にもいるもので、育児系メーリングリストで知り合った友人も、「今は堂々と子供番組が見られて嬉しい。」と書いていました。

 今、私が一番熱を入れて見ているのが、「爆竜戦隊アバレンジャー」です。後1回で終わるというクライマックスを迎えているため、目覚まし時計をかけて日曜7時半に備えました。主題歌の歌詞が「あばれるたびに、強くなれる〜」なんです。いやあ、ギャグとしか思えませんね。本編もまじめに作っているつもりらしいところでも笑える所がいっぱい。最近、子供番組(特に仮面ライダーが有名)のかっこいい主人公にお母さんたちがファンになって盛り上がっているようですが、そういう気持ちではなく、ストーリーやセリフ回しの随所につっこみを入れて楽しんでいます。あと、昔のゴレンジャー等の時代との比較を行なっても楽しいです。乗り物の合体が、CGを使ってスムーズだとか、乗り物自体「爆竜」と言って、それぞれ意思を持っているとか。その「爆竜」との交流エピソードなどもあって、なかなか奥が深いです。次に始まるのは「特捜戦隊デカレンジャー」。警察がモチーフです。刑事(デカ)なんでしょうね…。

 次はNHK教育TV。定番の3歳児をターゲットとした「おかあさんといっしょ」は、子供と一緒に歌を楽しみにしています。去年の(いつごろ?)今月の歌だった「ぼくときみ」と言う歌は、必聴です。「ぼくときみは違うから、きっと好きになるんだね。」というさびの歌詞は、色々なことを連想して、深い言葉だなぁと感心しています。そして、ちょっと下の年令向けの「いないいないばぁ」は、ワンワンのちょっとした大人向けギャグが見逃せません。作詞作曲者の名前も注意してみると、意外な人の名前が出てきておもしろいですよ! ニューミュージックと呼ばれた世代の人が今は多いかな。「にほんごであそぼ」は、野村萬斎が出ていますが、前評判通りの人気番組です。特に「じゅげむ」は大ブレイクでした。今の2〜3歳以上の子は、「じゅげむ」言える子多いですよ。仕事をしているとなかなか見られないのですが、平日昼間放送の「夕方クィンテット」や「ピタゴラスイッチ」も面白いです。「ピタゴラスイッチ」の中のコーナー「アルゴリズム体操」、「アルゴリズム行進」、「お父さんスイッチ」は、特にブレイクしています。

 もう一つ、是非取り上げておきたいのは「ドレミノテレビ」。これも平日昼間で滅多に見られないのですが、最初に見て驚きました。ミュージシャンUAが出ているんです。UAは退廃的な歌い方が特徴なのですが、そのけだるい歌い方で童謡を歌っているのは衝撃的でした。あまりのインパクトに、独身同僚達の中で、ちょっとマニアな人達にメールで紹介したら、「あの衣装は、舞台衣装で有名な***だ!」とか、「栗コーダカルテットも関わってるよ」等々、私にもよくわからない世界で盛り上がっていました。UAの歌は、番組のHP中でも楽しめます。気になる方は、検索して見てください。

 他にも「モグモグGOMBO」「さんまのあっぱれ大先生」、各種アニメ等々まだまだネタはあるのですが、この辺でやめておきます。

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  2004年3月  「うまい・早い・安い!」 花むらさき

 庶民から愛された牛丼が暫し消えることになったが、牛丼屋のキャッチフレーズそのままのメニューが我家に登場した。なんとただの白いご飯である。私は子どもの頃から現在までずっと、スイッチ一つだけのお手軽「電気釜」のお世話になってきた。それが少量なら土鍋の方がおいしく炊けると耳にして、気持ちが揺れた。おいしいものには目がないが、手抜き主婦を自認する私にとって問題はどれほどの手間がかかるかである。

 まず手始めに、私一人のときに一合を炊く実験をした。とはいっても「最初チョロチョロ、中パッパ。赤子が泣いても蓋とるな」の唄しか知らない。これは竈にかける丸い底に木蓋という、昔ながらの「お釜」の場合だ。熱伝導の良い鉄釜と厚手の土鍋とでは違う筈だ。インターネットで検索してみると、最初は強火、沸騰してきたら弱火、香ばしい香りがしてきたら10秒強火にしてから火を止め、15分蒸らせという。これなら簡単そうだ。水加減の「米の上に掌を載せてくるぶしまで」というのは1合の米では当てはまりそうにもない。計量カップで1〜1.5割増しに量るのが普通であろうが、手抜き上手の私は電気釜の内釜を利用することにした。目盛りはついているし、米を研ぐにも吸水にも使える。

 実験なので時計を横に火にかけた土鍋をじっと見つめる。湯気とともにおいしいご飯の香りが漂ってきた。山里の家々から立ち上る竃の煙を思わせるような、平和な香りである。しかし困るのは吹きこぼれだ。コンロが汚れるのは手抜き主婦の敵である。火加減を極弱にして乗り切った。やがて少し香ばしくなったところで10秒強火にしてから火を止めた。かすかにチリチリと音もする。15分蒸らして蓋を開けてみると、艶やかなお米粒が立ち、カニ穴もちゃんと開いている。底のうっすらおこげも電気釜育ちには憧れの味だ。おいしい。なんと一人で一合全部平らげてしまった。

 家族に披露する機会は案外すぐにやってきた。食事の支度が間に合わなかった晩に、電気釜より早く炊けるのを幸い、吸水してあったお米を急いで土鍋に移し替えた。しかし実験の時と違って、おかずも一緒に作っていると香りで判断するのは難しい。吹きこぼれのお守りもやっていられない。コンロは汚れるし、カニ穴も開かなかった。先日に比べると私は不満であったが、それでも家族の評判はすこぶる良く、もう電気釜など必要ないとまで言われた。かつて戦後の主婦の手間を助けた三種の神器も形無しである。たまのコンロの汚れには目をつぶり、土鍋生活が始まった。

 続けてみると他にも不具合が生じた。鍋料理用の口の開いた土鍋では、隣の火口で中華鍋を振るとぶつかってしまう。寸胴鍋のような形の炊飯専用土鍋がインターネットの通販にあったのを思い出した。あれなら中華鍋とも共存できる。早速近くの大型量販店へ行くと、通販よりも安価で購入できた。蓋が二重になっていて、内蓋の通気穴や隙間から吹きあがった汁は重い外蓋との間にたまって、外にこぼれでることはない。おまけにこの土鍋の場合は沸騰から4分で火を止めるまで、中火のままでよいと説明書に書いてあった。ますますお手軽だ。ただ中火といっても手加減が微妙なので、毎日同じとは行かない。他の料理と同時進行では沸騰に気づかぬこともある。そこで三ツ口コンロの奥の小さな火口を全開してみると、ちょうど中火程度になった。これで沸騰までの時間を測り、次からはそのデータをもとにキッチンタイマーを使うことにした。

 かくして、私のような手抜き主婦でも電気釜と変わらぬ手軽さで、よりおいしいご飯を毎日炊けるようになったのである。今まで影が薄かったご飯が、一品料理のような評価を得るようになった。保温機能がついていなくても、土鍋は冷めにくいのであまり気にならない。電気釜の約半分の時間で炊き上がるので、朝でもタイマー予約の必要を感じない。計算してみると電気代よりガス代の方が安い。まさしくうまい・早い・安い! 唯一の誤算は、おいしさに負けて食べ過ぎることであろうか。

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  2004年4月  「学校について」 藤田

 春です。御卒業、御入学の皆様、おめでとうございます。我が家のちびは、卒業にはまだ遠いですが、保育所の進級の為教室や担任が変わり、新しい環境に馴染めるかどうか親としては少し心配です。
 
 皆さんの学生時代は如何ですか? 私は残念ながらどんよりしたイメージで、タイムマシンで過去に戻れたとしても戻りたいとは思いません。様々なエッセイなどを読んでも、「過去の自分に、学校だけがすべてではないのだ、と言ってあげたい。」と書いている方が結構います。大人になってからは学校以外の選択もいろいろあるとわかるのですが、学生の頃は学校が生活のほとんどを占め、学校生活にうまく馴染めないと人生全てに挫折したような思いがあります。私はどうもグループ意識というものが苦手で、小中高とグループを作りにせいを出すクラスメート達の和にはうまく入れませんでした。また、「なるほどの対話」という対談集で吉本ばななが「学生時代寝てばかりいて、いくらでも寝られた。」という話を受けて、河合隼雄が「いくらでも寝られるというのはストレスの現れ。」と言っているのを聞いて、自分の話かと思いました。好きな授業は起きていられたのですが。

 自分に合った学校、相性の合う先生・友達にに出会えるときっと学校は楽しい所になると思います。しかし、今の日本の特に義務教育期間では、選択する範囲が限られています。最近は学区制度が緩くなる傾向があったり、入った後で失敗したと気づいた時の選択肢としてのフリースクール形式の学校も増えているようですが、まだまだやり直しが難しい制度になっていると思います。本人がやり直す意思を持てたとしても、違う学校に変わると言うことを暖かく見守るという事はまだあまり一般的でなく、ハードルが高いように思えます。残念ながら。

 育児の情報交換を通じて、発達に弱さを持つ子達や障碍(しょうがい)を持つ子達の親やカウンセラーの方の話を読む機会が増えたのですが、学校に対して大変な話がよく出てきます。その人なりのペースで成長しているのに小学校入学年令は皆同じというシステムも一部の人達につらい思いを与えていると思います。同じ年の人達とはうまく集団生活は出来ないが、2年下の人達のペースでは十分に集団生活出来る能力を持つ方などは、小学校入学年令に幅を持たせると楽しい学校生活が遅れるのではないでしょうか。

 一人で登校、学校生活を送るのは難しいが、手助けしてくれる人がいれば出来る方達もいます。加配の先生をつける事により、何人もの生徒達が楽に生活出来るのなら、その分の人件費となる税金を払う事は苦にならないと私は思います。もちろん、養護学校の方が能力を伸ばせる方達もいるでしょうが、障碍があるから、発達に弱さがあるから普通学級は無理という判断ではなく、一人一人に合った環境をという考え方で選択できる世の中であってほしいと思います。発達の弱さ、障碍を持つという事は特殊な事ではなく、他人事でもないと思います。そして、このような子供達が、居心地良く過ごせる学校ってたぶんユニバーサルデザイン、すなわちすべての子どもにやさしいってことになるのではないでしょうか。

 十分な知識がないままに考えている部分もあり、間違った事を書いたり一部の方に不快な思いをさせる表現がありましたら、御容赦ください。

 最後に漫画を紹介します。「光とともに…」戸部けいこ『for Mrs.』にて連載中。自閉症の光君のお母さんが主人公です。小学生編が4月からドラマ放映されるという事で、現在書店で平積みされています。自閉症についての知識を得る事が出来るだけでなく、子供に対する参考になる工夫がいっぱい。漫画としてのストーリーも優れていると思います。お薦めです。

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  2004年5月  「春風突風」 花むらさき

 春風という言葉になにやら楽しげな思いを感じられる方も多いでしょう。花の開花を誘うような、温かな風のイメージ。でも私は春風はどうも苦手です。この季節、太平洋から浦賀水道を越えた風は東京湾を抜け、習志野市の海岸に届きます。そして習志野市南側の、海抜数メートルの埋立地域を一気に吹き抜けていきます。春風は習志野市の主婦にとってはありがたくない突風なのです。

 朝、洗濯物を大きく広げて干すことができません。ベランダや軒下に干す家では、洗濯物が汚れないようにガラス拭きをすることは主婦のたしなみでしょう。手抜き主婦の私ですらマメに拭きます。でもこのあたりに住んでいると洗濯物は窓ガラスや竿にまとわりつくだけでなく、物干しの天井にまで吹き上がってしまうのです。洗濯物が竿から飛ばされないように工夫を凝らすと、今度は竿ごと下に落ちて、折角乾きかけた洗濯物も泥だらけとなってしまいます。

昔の海岸線である国道14号線を越えると台地のように土地が急に高くなりますが、ここは習志野市の中でも畠の多いところです。よく耕された畠の土は舞い上がり、窓を閉めていても土が部屋に入ってきます。掃除機をかけてもかけても部屋中ザラザラです。

買い物に出かけるときは、体重にいくら自信があっても前傾姿勢で歩かなければふらついてしまいます。自転車はもとより自動車のハンドルすら取られてしまうこともあります。

 谷津干潟のすぐ北側に住んでいたときは、「ベランダ園芸」ならぬ「ベランダ塩田」でした。南風が吹き荒れた翌日、手すりを支える15センチ間隔の縦棒の一本一本から小匙一杯ずつ収穫できます。南風に悩まされている主婦への神様からの贈り物かもしれませんが、折角の天然の塩でも料理に使う気はしませんね。

 ところで最近、習志野市でも風力発電の検討がされていると聞きます。こんな贈り物なら大歓迎です。風が吹けば桶屋が儲かる♪ 大きな風車が回れば、めぐり巡って税金や公共料金が安くなったり、福祉事業が活発になったりするかもしれません。身近で役に立つようになれば、この突風も悩ましくはなくなるかもしれませんね。

 さて今年の春は私の身にも突風が吹き抜けました。思いもかけず習志野ねっとの会長となりました。どれほどのお役に立つかわかりませんが、ご近所情報をお届けすることならば、主婦の得意技です。習志野ねっとは1999年春に発足してはや五年がたちますが、これからも皆様のお役に立つようなサイト作りを心がけたいと思います。これからも習志野ねっとをよろしくお願い致します。

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  2004年6月  「習志野市の水はおいしい?」 Human播本

 私は学生時代から山登りをやっていましたので、山ではおいしい水に恵まれていました。でも生まれ育った大阪もその後住んだ広島・船橋でも、都会の水は「まずい水」でした。長野県の諏訪のような例外はありましたが、ずっと「都会の水はまずいもの」と思っていました。

 今から8年前のことです。JR津田沼駅南口近くのマンション(谷津7丁目)で暮らし始めてほぼ20年が経っていました。上階のお宅も三世代になったようで、お孫さんがテーブルから飛び降りる元気な騒音が日々、気になるようになっていました。片や我が家もマンション暮らしも20年になると「土」が恋しくなってもいました。話し合うまでも無くいつに間にか、夫婦二人で「一戸建てに引越し」プロジェクトに取り組んでいました。

 さて、何処に引っ越すのか? その少し前に「総武線の北側の水はおいしい」と聞いていました。都会の水はまずいと思っていた私には、意外な話です。習志野市の水道には、二つの供給者があります。総武線の北側は「習志野市企業局」で井戸水が3分の2で、残りは利根川の表流水とのことです※注。総武線の南側は「千葉県営水道」で、江戸川・利根川・印旛沼・高滝ダムからの混合です。(まあ、こちらは普通の水道水ということです。) こうなると、探す物件はひたすら総武線北側の限定です。

 家探しもなかなか大変です。休日ごとに二人で何軒の家を見たでしょうか、物件が気に入れば予算が足りない。予算内だと物件が物足りない。そんな中で現在の鷺沼台3丁目の家に行き当たりました。駅からは遠いのに電車の音が賑やかなのが難点ですが、つれあいが好きなガーデニングと野菜作りができるそこそこの広さの庭があります。なによりも「おいしい水」がありました。酒好きの私には、酔い覚ましの水の一杯、これで水の味がよくわかります。井戸水がメインですから、夏には冷たくて冬は暖かいのがなんともうれしいです。

 結論は、「習志野市の水はおいしい、です。ただし、総武線の北側に限っては、です」。皆さん、習志野に引っ越していらっしゃい。習志野の水は、甘いよ!!



※ 注
 習志野市の井戸水の取水については、習志野市役所の「環境白書」で公表されています。井戸水の比率は、かつては80%もあったようですが、ここ数年でも60%以上は確保されているようです。
 ちなみに、地下水を汲み上げることで心配な地盤沈下は殆どないようです。


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  2004年7月  「ふるさと」 植松弘樹

 皆さんは「ふるさと」というのをお持ちでしょうか。

 私は東船橋で産湯をつかり、谷津に暮らして幾星霜、引越ししても丁目が変わっただけ、なんか「他に住む場所無いのか」ってぐらいの東船橋生まれの習志野育ちです。「ふるさと」と呼べるのはこの習志野であり、谷津であると思っています。一方で、「ふるさと」という言葉から連想されるイメージは、川があって山があってという、「田舎」の風景です。それは私の実際のふるさと習志野とは大分ズレている感覚があります。引越しでもした気分で振り返ってみたら「ふるさと」習志野が見えるかもしれません。では、思い返してみましょう。


見渡す限りの荒野、冬には砂塵渦巻くにんじん畑。
その真ん中を走る、限りなくクロに近い茶色の流れ、どぶ川。名前は知らない。
変わらないはずの広大な市街化調整区域。けど、馬小屋は建ったなぁ。。。
よくザリガニ捕った沼。今は住宅街。。。地盤は大丈夫? 土台にヒビ入ってない? 
釣竿並ぶ谷津干潟。今は釣り禁止。
遠足といえば谷津遊園。今はもう無い。
そういえば、写生大会も谷津駅近辺だったなぁ。近所じゃ珍しいビルがあったから、一所懸命に描いたっけ、ラブホテル。。。

 ああ、振り返って見ると、私にとっての「ふるさと」って、田舎の風景ではなく過去の風景のことだったようです。この近辺も空き地や林だったところはマンションか住宅地になってしまって、様変わりしています。ですので、同じ場所に住んでいても、決して二度と訪ねることの出来ない記憶の中にだけにある場所になってたんですね。

 今、ここで育つ子供たちが記憶の中に「ふるさと」を発見するときは、実際の習志野はどうなっていることでしょうか。あんまり変わらないで欲しいって言うのは、エゴなんですかねぇ。

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  2004年8月  「ネット20年」 藤田

 今年、2004年は日本でパソコン通信及びインターネットへの接続が始まってちょうど20年だそうです。私自身を振り返ってみると、インターネット上のサービスを利用し始めたのは、13年くらい前でした。

 「インターネットする」という言葉が流行り始めた頃、インターネット上のサービス(E-mailや BBS) を利用する上で、カルチャーギャップを感じる人々がいる事に気がつきました。例えば、NetNewsというシステムでテーマ毎に分かれての議論が白熱していく中、「どうしようもなくなってきたので、そろそろ管理人さんに登場してもらいたい」という発言がありました。NetNews には特に管理人はいないので、なんのことを言ってるのだろうと思っていました。その当時はこのギャップが何によるものなのか理由がよく分からなかったのです。

 しかしそのうちにパソコン通信という世界とJUNETという団体から入ったインターネット上のサービスという世界との違いだという事が徐々にわかりました。管理人とは、パソコン通信のシスオペと呼ばれるBBS の管理をする人のことを指していたようです。これも含めて下の表のような違いがありました。


  パソコン通信 JUNET
「Re:」をなんと呼ぶ? レス リプライ
E-mailの件名 日本語可 アルファベットのみ
BBSの運用 管理人がいる 管理人はいない
(NetNewsの流れ)
BBSの文章はなんと呼ぶ? 書き込み 投稿
(だったはず…(^^;)


 NETWORLD+INTEROPという展示会で行われた、この業界で有名な方々を集めての「ネット20年」というパネルディスカッションの中で、カルチャーギャップの話が出てきました。それによると、技術面や運用面からパソコン通信とJUNETの違いが出てきたのだそうです。表の一部の話ですが、十数年を経てなるほどと納得出来ました。

 今やインターネット上のサービスはどんどん進化してきて、「パソコン通信とJUNETの違い」は、本当に昔話でしかなくなってきています。最近のニュースなどを見ていると、楽しい話ばかりのインターネットではありません。しかしパネラーとして発言された第一線で活躍する方々によると、技術や教育の面を含めて解決できる課題がまだまだあるという話でした。安全で便利なインフラとしての発展を期待したいと思います。

 #最近の流行りは weblog = blog (ブログ)だそうですよ。この話はまたの機会に。

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  2004年9月  「今こそ昔の外遊びを」 佐々木智光

1.はじめに
 私は1965年生まれ、今年15年目の小学校教員です。趣味で学習ゲームの開発もしています。私の教育モットーは“とにかく子どもと遊ぶこと”です。

 今回は自分のこだわりである遊びの中から、特に“外遊び”について考えてみました。

2.小学生の遊びの変化
 小学生といえば、友達と暗くなるまで外で遊んで真っ黒になって帰ってくる、こんなイメージをお持ちではないでしょうか? しかし最近は違ってきています。

 例えば、友だちの家に五人の小学生が集まったとします。一人はTVゲームをする。もう一人はそれを見る、あるいはいっしょにやる。一人は漫画を読む。残った二人はカードゲームをする。やがて、TVゲームをしていた子が漫画を読み、漫画を見ていた子がTVゲームへと交替していく。交替はしても、その場にいる五人が同じ事をして遊ぶわけではないのです。

 子どもがみんなでいっしょに何かをするというのは、子供会の行事であったり、地域のスポーツクラブの場合が多いのです。これらは大人がお膳立てしたものです。子どもたちが自ら集団で遊ぶという光景は、最近はほとんど見られなくなってきています。

3.なぜ集団で遊ばなくなったのか
 大きな原因の一つとして、TVゲームがあげられます。昔は友だちの家を訪ねて「○○くん、遊ぼう」と誘ったものですが、今は事前に電話などで「遊べる?」と尋ねます。予めアポイントメントが必要なのです。習い事をする子が増えて、遊ぶ時間すらスケジュールが決まっているからです。これに対して、TVゲームにはアポはいらないのです。生まれたときからTVゲームがあった子どもたちにとって、遊ぶ時間のある友だちを探す手間も無く、自分の遊びたいときに遊んでくれるTVゲームは、一番の遊び相手なのです。

 この他にも、子どもが集団で遊ばなくなったことの理由はあります。空き地が減って遊ぶ場所が少なくなりました。また、異年齢集団で遊ばなくなったため、みんなをまとめるガキ大将がいなくなりました。

 このようなことが、無くなってしまった時間・場所を確保してあげ、ガキ大将の代わりにリーダーシップを取って遊び方を教えるなど、大人の介在が必要になってきた由縁です。

4.子どもは外遊びが大好き
 集団で遊ぶ場合は外遊びが多いですが、自ら集団で遊ばなくなった子どもが外遊びを嫌いかというと、そんな事は全くありません。私はよくSケンをしたり六虫をしたり、昔の遊びをアレンジして学級の児童と遊んでいます。今まで受け持ったどの子も、夢中になって遊び「楽しかった。またやろう」と言います。お膳立てされたとはいえ、もともと子どもは外遊びが大好きなんです。

5.復活させたい外遊び
 最近ほとんど見かけなくなった外遊びで、復活してほしいものがいくつかあります。自然の流れで廃れてしまったものもありますが、危険だからという理由で、遊ばせなくなったものがあるのです。でも、危険だからという理由だけで、埋もれさせておくのは惜しいと私は考えます。そんな遊びを三つ挙げてみます。

・めんこ
 スポーツテストのボール投げの記録は、全国のどの小学校でも年々低下しています。私は、この原因の一つは手首のスナップを使う遊びがなくなったことだと思います。釘さしや石を投げる水切り、最も代表的なのがめんこです。相手のめんこをひっくり返そうと思いっきりスナップをきかせたものです。負けるとそのめんこを相手に取られてしまう弱肉強食の厳しさもこの遊びの大事な要素です。真剣に勝負し、負けてめんこを取られる悔しさ、痛みを味わったものです。でも、今こんな勝負ごとを奨励すると、PTAから苦情が殺到しそうだなあ。

・馬乗り
 首の骨を折ったという事故があってから、すっかりやらなくなった遊びです。連帯感・忍耐力を養い、そして太っている子がヒーローになれる遊びでした。わたしはちびで体力もなかったけれど、崩れるとみんなに迷惑をかけるから、必死に耐えたものです。文部科学省が学習指導要領に入れてくれたら、大手を振ってできるんだけど。

・木登り
 腕力も鍛えられ、バランス感覚も身に付く遊びです。高いところから見るながめはいつもの景色と違っていて、一息つけたものです。山を制覇するように、学校中、公園中の木を登ろうとした子どもの頃を思い出します。これも落ちたら危険だからということで、遊ばせなくなってしまいました。どこかの遊園地でアトラクションとして、“安全な木登り”作ってくれないかな。

 危険だから、やらせない。カッターナイフは危ないから、鍵をかけて保管しよう。最近の学校・社会は、こうした流れになっています。体育館に放置してあったフラフープにつまずいて転んで骨折した子の保護者が、学校を訴える時代ですから仕方ないのかもしれません。しかし危険だからこそ、自分で危機管理能力を高めることができると思います。子どもがちょっと痛い思いをする前に、周りの大人が助けてあげてしまうから、キレた時に人の痛みがわからず限度を超えてしまうのではないのでしょうか。

6.終わりに
 最近、長崎の事件をはじめ胸を痛めるニュースが多いです。こうした話を聞くたびに、忍耐力のない子、痛みを知らない子が増えている現状を憂います。

 多少危険だっていいじゃないですか。昔の遊びを通して、忍耐力があり、痛みのわかる健全な児童を育てましょう!

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  2004年10月  「天のお恵み」 花むらさき


 今夏、初めて南瓜(かぼちゃ)を育ててみた。と言っても苗や種を買ったわけではない。天からのお恵みである。

 我家では生ゴミにボカシをかけて肥料にしているが、今回の南瓜はこのおかげである。ボカシとは油粕や米糠などの有機質肥料に山土や籾殻などを混ぜて発酵させた、肥料の素のことである。これを使って生ゴミをリサイクル、肥料に変えるのだ。

 手順は簡単。野菜クズなどの生ゴミは三角コーナーで水を切る。土に還らないティーバックの袋やビニール、タバコの吸殻、腐敗しているものは入れてはならない。魚の骨ならば鮭や鯛の兜でもOKだが、鶏の手羽先の骨などは土に還りにくく、園芸作業中に土の中から出てくるとギョッとするので取り除く。水切りした生ゴミは新鮮なうちに専用の密閉ポリバケツに入れてボカシをふりかけて混ぜる。空気に触れないようにし、にじみ出た液をこまめに抜くと後々あまり臭くならない。この液も肥料として使える。バケツがいっぱいになったら、そのまま7〜10日間寝かせる。そのためにバケツを二つ用意し、交互に使っていく。二つ目のバケツがいっぱいになる頃には、最初のバケツはほどよく発酵しているので、これを庭に埋めていくのである。庭にすえつけるコンポストと違って、狭い庭やベランダ園芸でもできる。

 このボカシ活用法で良い事は四つ。まず、肥料代が格段に安くなる。ボカシは秋津の総合福祉センターの売店「ポポロ」や、DIYショップなどで売っている。三角コーナー一杯分の生ゴミにボカシは10〜20gでよいので、通常の数十分の一の費用で済む。初期投資の専用ポリバケツは¥3,000ほどかかるが、習志野市から半額補助を受けられる。

 次に、花が元気になる。私が今の地に引っ越してきた頃はご近所でも評判になった。ここは園芸愛好家が多い街であるが、その彼女たちの目にも花の元気さが不思議に映ったらしい。「花にも人間さまと同じものを食べさせているから」と笑いながら説明しているうちに、ボカシ愛好者は増えていった。花が元気で嬉しいのは鑑賞面だけではない。園芸で費用がかさむのは肥料と薬剤なので、花が元気だとお財布も嬉しい。街に増えたボカシ愛好者はそのうちボカシ伝道者となっていった。

 三つ目は、週三回の生ゴミ回収が一回で済む。これは旅行好きの我家には非常に助かっている。世の中には旅行前に生ゴミを冷蔵庫や冷凍庫に保管する家庭もあるそうだが、生ゴミと食品を一緒に入れるほどの勇気を私は持ち合わせていない。旅行前はせいぜい生ゴミを出さないようなメニューを心がけ、ゴミ袋を重ねて厳重に密封していた。が、今はボカシ用のポリバケツに入れてしまえば、腐って異臭がすることも無く安心である。旅行の時だけでなく、収集日が祝日でお休みのときも助かる。さらに、大きな声では言えないが、雨でゴミ出しが憂鬱な時や寝坊した時にはサボったりもできるのである。

 最後に、思いもかけない収穫をみることができる。電気製品の生ゴミ処理機は粉砕や乾燥をさせるが、ボカシを使うといわば糠漬け状態なので種子は生きている。そもそもエコロジーを考えて生ゴミの堆肥化を目指すのに、電気を使うのは本末転倒のような気がしていた。確かに電気を使えば容量も小さくなり、臭いもしない。しかしボカシでも手入れよく作ってきちんと深く埋めれば気にならない。今回の南瓜は生ゴミから芽を出し、生ゴミからできた肥料で立派に大きくなったのである。今までもよく芽を出していたのに、抜き取っていたのは勿体無かった。

 したり顔でエコだ、リサイクルだと声高に言うつもりは無いが、一石四鳥の天のお恵みはナイショにするには惜しい話題である。

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  2004年11月  「ちびねずみの病院大冒険」 植竹


 ボクは冒険中のちびねずみ >∵<  冒険の旅に出てから1年半になる。今度の探険先はこの総合病院。大きい建物だから食べ物がたくさんありそうで楽しみ、楽しみ >^.^<

 まずは正面玄関から入ってみよう。あれ? まだ朝8時前なのに患者さんが来て順番待ちをしているよ。受付まで時間がだいぶあるみたいなのに、患者さん大変だね。案内係がきちんと誘導しているから安心だけどね。各外来診療科ではクラークさんや看護師さんがバタバタと忙しそうに朝の準備をしている。受付が始まり、先生達が診察室に入り始めた。おや、あの先生はちょっと遅れて来たよ。朝の病棟回診に時間がかかったんだって。先生達も朝から大変だね。この時間からは病院内は患者さん達で一杯。ちょろちょろするにも気を使うんだよな〜。どっかに朝ごはん落ちてないかな〜。

 検査室には採血や採尿する患者さんが並んでいる。検査技師さん達は次から次にくる検体分析に大忙し。放射線科でもレントゲン室に順番に呼びこんで撮影している。ちょろちょろしていたら一緒に映ってしまうかも。薬局では調剤したり薬袋に薬を詰めたりで大忙し。手際がよくてびっくりしちゃう。新システムを導入してからは待ち時間がだいぶ減って嬉しいって、患者さん達がおしゃべりしているよ。

 ちょろちょろしていると、診察を終えた患者さんがどんどん会計をしに集まってくる。
今度は会計係の人が大忙し。患者さんを待たせないように頑張っている。こちらも新システム導入後は待ち時間が減って患者さんは助かっているみたい。でもボクとしては待ち時間が長ければ、その間に落とす食べ物のくずとか期待できるんだけどな。それにここではすぐに清掃員が掃除してしまって、全然落ちていないね。おなか空いたな〜。

 おや、どっかでシステムトラブルのようだ。システム担当者がバタバタしている。患者さんを待たせちゃうよ、早く早く〜。トラブル時は大変だね。ボクみたく早く走りまわれるといいと思うんだけどね。そうだ、この隙にシステム室に行ってみよう。あそこはいつも夜遅いだろうから、夜食の残りとかあるかも。 >∵< ―――― >∵<  ん〜、ないね〜。きれいなもんだ。がっくり。

 ボクは朝ごはんもまだなのに、もうお昼過ぎだ。食べ物探しに走り回って疲れちゃった。お昼寝でもしようかな。患者さんも少なくなってきて静かでちょうどいいんだけどさ。でも、会議室では寝られないね。会議が始まるんだもん。今日は安全管理についてのお話だって。ボクも冒険の参考に聞いておくかな。

 そうだ、厨房に行けば野菜くずがあるかも。厨房は入院患者さんの夕食準備で忙しそう。その隙に野菜くずをいただこうと思ったんだけど、ここもきれいに片付けられている。じゃあ、できたての夕食の後から病棟にあがってみよう。病棟では看護師さんが介助して食べさせてあげたり、食後の投薬の準備をしたり、患者さんの就寝までフル回転。ねずみのボク以上に動き回っているみたい。あっ、あそこにある箱は残飯入れかな。行ってみよ。おっとっと、わー怖い。針の山だ。危うく落ちるとこだった。フー。使用済みの注射針を入れる箱だった。危ない。危ない。

 夜になって救急外来の時間帯。当直さんの夜食の残り物をいただこうかな。でも、救急患者さんがどんどん来て食べる時間がないみたい。残り物はでないようだ。。。どれどれ、夜はどんな患者さんが来ているんだ? 腹が痛いだの、頭が痛いだのと言ってかけこんで来ている。酔っぱらっている患者さんもいるよ。ろくに話が聞けないので、先生も看護師さんも症状がよくわからなくて治療のしようがないようだ。最低限、名前くらいは正確に言ってほしいもんだよね。ねずみ病院の先生だったら短気だから、こんな患者さんが来たらきっと診ないよ。

 大きな建物だから期待していたのに、朝からどこにも食べ物が落ちていない。ボクは目が回ってきた〜。先生、ボクも診てくれない? 入院したら栄養士さんが考えたボクにぴったりのおいしい食事もらえるかな? でもボクは入院どころかきっと追い出されちゃうんだろうな。ここでは食べ物にありつけそうもないから、夜が明けたら別の建物を探険しよう。それまで今晩は秋の夜長らしく静かに読書でもしようかな。救急患者さんが来ないこと祈って。。でももう瞼がくっつきそう。zzz・・

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  2004年12月  「大腿骨頚部内側骨折!!」 高橋由美子


 私、50代、主婦。運動が好きで、体力にも自信があり、骨密度も平均より高い。それなのに3ヶ月前にエアロビクス中に転び、右足の骨にひびが入ってしまった。診断名は「右大腿骨頚部内側骨折」全治3ヶ月。

 ネットなどで調べると、お年寄り、特に骨粗鬆症の方が転んだりしておこしやすく、そのまま寝たきりになりやすいとある。「若い(?)のに」と多くの方から言われてしまった。よほど打ち所が悪かったのだろう。

 本来なら入院するということだが、安静にしているからという条件で、自宅療養にしてもらった。手術をして骨をボルトで固定することもあるらしいが、幸い比較的浅いひびだったのか、ギブスもせずに済んだ。股関節の付け根なので、固定されたらそれこそ大変だった。椅子に座っていることができたので、2、3日後にはキャスターつきの椅子を車椅子代わりにして移動もできるようになった。

 主婦が動けないというのは大変なことだ。洗濯は同居の母に、買い物は友人に、フロ掃除やゴミ捨ては主人に頼んだ。食事のしたくはキャスターつきの椅子に座って私がし、掃除はサボり、家事はなんとか乗り切った。

 しかし我が家には、自分で体を動かすのが不自由な息子がいる。その世話ができなくなってしまった。これには困った。

 以前にも利用したことのある業者にすぐ電話をして、1日3回毎日のヘルパーさんの派遣を頼んだ。自費も覚悟だったが、役所に診断書を提出して、3ヶ月間、50時間/月のヘルパー派遣を支援費制度で認めてもらえた。

 2ヶ月ほどすると歩くことができるようになり、家事もほぼこなせるようになった。しかしまだ息子を抱えることはできない。引き続きヘルパーさんが頼りだ。お風呂は主人に会社から帰ってから入れてもらわなければならない。週1回マッサージに通っているのだが、それも主人に連れて行ってもらう。息子と主人には本当に迷惑をかけた。幸い、主人は定年を過ぎ嘱託で働いているので、比較的自由に休みが取れ助かった。

 息子の世話をするのには私の健康が第一と、エアロビクスやプールで体を鍛えていたのだが、それで骨折していたら話にならない。今回のことは不幸な出来事ではあったが、自分の過信を慎み、周りの人たちのありがたさを感じ、息子も他人の世話になることを体験し、いい経験だったと思う。

 今後、高齢の母が寝たきりになったら・・・、私や主人が入院するようなことになったら・・・、地震等の災害にあったら・・・と考えると不安が募るが、その時もまた周りの方たちの力を借りて、なんとか乗り切っていくしかないだろう。私の信条は「ケ・セラセラ」である。

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  2005年1月  歯の話その2.「入れ歯にならないための処方箋」 菊地正毅


 2003年3月に「噛むことは万病の薬」というエッセイを書きました。今回はその続編で、入れ歯にならないための処方箋です。

 現在平均寿命が90歳に近くなっているにもかかわらず、80歳で平均6本ほどしか歯が残っていないのが現実です。6本しか残っていないのは歯が抜けた、あるいは歯科医院で歯を抜かれたからでしょう。こうして入れ歯人生は始まります。

 では歯が抜ける、あるいは歯を抜かなければならない状況とはどのような場合でしょうか。二つのケースが考えられます。一つは自然と歯周病で抜ける、あるいはぐらぐらになったり歯肉が腫れたりして歯科医院でしかたなく抜かれるケースです。二つ目は神経をとった歯の被せ物がとれたまま放置して上の部分が崩れていく、あるいは中で根っこが折れるケースです。この二つの原因が90%以上占めています。両方とも実はダメージの蓄積です。

 ではこのような状況にならないためにはどうすればいいのでしょうか。痛くなってから治療を受けると多くの場合神経を抜くことになります。また歯周病はほとんど自覚症状がありません。ということは、痛くなってから歯科医院へ駆け込むのでは遅いということです。

 では今まで半年に1度しっかり健診に行かれていらっしゃる方はどうでしょう。しかし半年の間にむし歯はできているかもしれませんし、歯周病も少しずつ進んでいるかもしれません。久しぶりに行って「ここにむし歯ができましたね。治しましょう」と言われるパターンです。予防の手段が患者さんに一任されているので、生活環境によって予防しきれていないのです。

 では1ヵ月に1度ならいかがでしょう。One Month After Care. 口の中を1ヵ月に1度徹底的にクリーニングをかけるやりかたです。当然究極の予防のフッ素も使用します。自分のブラッシングが多少雑になっていても、病気になる前に原因を除いてもらうことができます。治療ではなくてエステや予防に近いシステムです。茶渋も、自分では磨けないところの汚れも、歯石になったところも、全部綺麗にするやりかたです。

 痛くなくても健康を保つために歯科医院に通い続けましょう。長い目で見れば治療費用と時間の削減になることは証明されています。入れ歯にならないために、1ヵ月に1度30分間のクリーニングをして、一生自分の歯でおいしく食べて人生をエンジョイしましょう。

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  2005年2月  「鬼の思い出」 佐々木智光


1.はじめに
 我が家には、一卵性双生児の男の子がいます。病院勤務の家内は休日出勤も多く、なかなか4人そろって食事をしたり、休日に出かけたりすることができません。せめて節目節目の行事くらいはちゃんとやろうと、息子たちが大きくなった今でも続けています。

2.我が家の節分
 我が家では節分の日は、お父さんである私がいつも鬼になっていました。市販のお面をつけ、玄関から乱入し大きな声で「鬼だぞ〜」と叫ぶのです。さほど凝っているわけではありませんが、それでも小さな息子たちは、泣きべそかきながら必死の形相で豆をまいていました。私はおかしいのをこらえながら、頃合いを見て「参った!」といって玄関から逃げていく。こんなパターンを続けてきました。

 さて、たしか小学校2年生のことです。このあたりは微妙な年頃で、学校からもさまざまな情報を得てきます。お父さんがサンタさんに化けてプレゼントを届けているんだとか、いろいろ友達から聞かされてきます。節分の鬼もお父さんなのかなと思い始めたようで、私にも「鬼はお父さんがやっているの?」などと聞いてきます。

 この調子では今までのパターンでは通用しないなと思いました。さてどうしようかと考え、あるアイデアがひらめきました。

3.当日の様子
 さて、当日。私は途中で鬼のお面を買って、いつもより早く帰宅し、そっと駐車しました。そしてスーツから黒いセーターに着替えて、家内に携帯で連絡し、突入のタイミングを計ります。

 さあ、出番です。私はいつものように玄関から入って「鬼だぞ!」と叫びました。息子たちは例年のように、必死に豆をぶつけてきました。私もいつものように「参った」といって玄関から出て行きました。その後スーツに着替え、しばらく時間をつぶしてから帰宅しました。

 そう、なんということはない、例年と変わらぬパターンです。でも息子たちはお父さんが鬼だとは全く疑っていませんでした。

 私が、どんな作戦を考えたかわかりますか?

4.私の考えた作戦とは?
 そ知らぬ顔で帰宅した私が「どうだった? 鬼、来た?」と聞くと、息子たちは、「うん、来た、来た。お父さんのいったとおり、鬼はお父さんそっくりだった」と言いました。私は吹き出しそうになるのをこらえ「ちゃんとお母さんを守って追い出したか?」と尋ねると、ちょっと得意そうに「うん、やっつけたよ」と口々に言いました。

 そうです。私の考えた作戦とは、前日に息子たちにこんな話をすることだったんです。「お父さんは明日、仕事で帰りが遅くなるから、鬼がやってくるのに間に合わないかもしれない。でも、いいかい。鬼は、きっとお父さんに化けてくるだろう。でも騙されちゃいけないよ。似ていても、それは鬼なんだ。お母さんを守って鬼をやっつけてね。」

4.終わりに
 こんなかわいい反応をしていた息子たちも、今や6年生。サンタも鬼の正体もすっかりわかってしまいました。去年は2人で鬼の役をやりたがり、久しぶりに私も豆をまく役をやることができました。

 いつか彼らが父親になった頃に、同じように行事を楽しみながら子供とかかわってくれるようになることを願っています。そして、その時は、「おじいちゃんにも何かやらせておくれ!」と頼むつもりです。

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  2005年3月  「インドネシア政府国民に助言」 村山和彦


 インド洋で大きな地震がありました。インドネシアから東京大学に留学しているルトフィ君は、私のところに地域通貨ピーナッツの勉強に来てくれています。1月初めにお見舞いのメールを出しましたら、インドネシア政府に伝わるように趣旨を雑誌に出したいというので、少し整理して渡しました。彼は直ぐインドネシア語に翻訳して、GATRAと言う雑誌に投稿してくれました。
 http://www.gatra.com/komentar.php?cid=63676
に載っています。端折って翻訳したようですが、こんなことを書きました。


              インドネシア政府、国民の皆さんへ

 今回の津波被害お見舞い申し上げます。地震災害を多く受けている日本からお見舞いとアドバイスを差し上げたいと思います。

 インド洋沿岸で150,000人もの方がお亡くなりになりご関係の方々の苦しみ、嘆きはいかばかりかと、同情いたします。日本は第二次世界大戦中広島に原爆を投下されて、140,000人(誤差±1万人・広島原爆資料館)が亡くなりました。この経験から、今回の被害が如何に大きなものであったか、改めて考えさせられます。
 
 食料、飲料水、医療の手当てが出来たら、次は復興にかからなくてはなりません。戦争で3百万人の死者を出した日本でもこの60年でここまで復興できました。どうぞ希望をもって復興に邁進してください。

 これからの復興には多額の資金が必要となります。外国からの支援は貴重です。しかし100年の計を慮ると、有利子の借款は極力排除するべきであると考えます。同時に既に受けている3〜4兆にわたる円借款も返済の計画が立たないはずです。政府はこれを機に、早く債権国に債権の放棄を求めるべきです。債権国にとっても、返済が事実上不可能な債権を保有し続けることは、健全な財政と言えない状況を続けることになります。イスラム法上でこの事情を説明して、各国、特に日本政府に相当の債権の放棄と無償援助を求める必要があります。イスラム法では有利子の借款は出来ないと明言し、イスラム各国の同調を求めるべきであると思います。日本が無償援助の先鞭をつければ、欧米各国も追随することでしょう。当然債権放棄は日本が被害国になりますが、アジアの安寧を考慮したら、安い負担であると思います。

 この私の提案は日本の苦い歴史経験からくるものです。日本では1923年に関東大震災があり、復興の為に欧米から8%と言う高利の資金を調達しました。しかしこれが遠因となって日本は対等な外交交渉が出来なくなり、その結果武力に道を求めるようになったのです。震災復興の高利の資金を返済できなくて1930年に返済の繰り延べ交渉をロンドンで行い、引き換えに不利な条件を飲まされました。金解禁を強要され、金の保有量しか貨幣の発行が出来ない条件です。国際障壁を外すことを強いられ、米、生糸(当時の輸出品)の相場が1/2以下になり、国民の70%の農家では娘を売春婦として売らないと食えない状況でした。未遂と失敗に終わりましたがクーデターが起き、その延長として真珠湾攻撃への道を歩みました。結局この外債は戦争に負けて償還できませんでした。

 しかし前述の債権放棄の提案には条件があります。政府、軍隊の国民への忠誠心です。報道によると、NGOによって持ち込まれた救援物資をNGOが市民に直接配布したそうです。国軍による配布はNGOによって拒絶されたという悲しい報道です。国民、外国人から国軍の国民への忠誠心を疑われています。

 賄賂、中間搾取がイスラム法によって認められているとは思えません。法に従って厳正な規律運用を官僚、軍が行うべきであると思います。

 日本には借財を良しとせず、自力で地域の生活の建て直しを行った二宮尊徳という人がいました。当然インドネシアにも、イスラム法の中にもそのような先人が居ると思います。学ぶべきです。インドネシアにはゴトンロヨンに代表される助け合いの歴史があります。互助システムを中心に地域循環経済システムの構築を急ぐべきです。ドル、ユーロ、円支配から離脱のスキームを持つべきです。

 今まで借款を進めてきた人や組織が、債権放棄を求め、新たな借款を断るのはやりにくいことだと思います。しかし、真にインドネシアの国を愛する指導者は、言いにくいことを言い、やりにくいことをあえて行う時であり、時を失すると、インドネシアを貧困な国民を抱える国として、100年間地球上に位置づけることになります。アジアの平和安寧の為に賢い復興をされることを願っています。

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  2005年4月  「習志野の自然、補足と雑感」 spline鈴木


 昨年(2004年)の3月中ごろに、習志野ねっと表紙の一年分の写真を依頼された。季節に合った被写体を近所で見つけ、写真を12枚作ればいいと思って気軽に引き受けた。しかし毎月の頭に更新が入るので、それまでに写真を用意せねばならない。そして使われたら1ヶ月そのままなのだから、あまり前に撮影すると季節に合わなくなってしまうことに後から気付いた。結果、毎月末には土日に近所を走り回ることになってしまった。

 さて、撮りっぱなしの載せっぱなしでは申し訳ないので、補足とその雑感を書かせていただく。

一年間の写真はこちらに

4月
 3月末に最初の納期が来て、外は丁度初春の趣なので、いろいろなものを撮ってみた。見慣れた景色も視線を変えると面白いものだった。

ハナニラ ニラの香り、ユリ科イフェイオン属ハナニラ:Ipheion unifiorum   ナノハナ 県花、アブラナ科アブラナ属ナノハナ:Brassica campestris

 この他何枚か撮影したが、採用されたのはタンポポだった。それにしてもあたり一面セイヨウタンポポだ。そのときは結局在来種のタンポポを見つけることは出来なかった。あるのかなぁ。今年は探してみようと思う。


6月
 6月に掲載した「ヤブヘビイチゴ」だが、当サイトの「習志野写真館」にコメントを書こうと思って忘れてしまっていた。通常の「ヘビイチゴ」に比べると実の部分の赤味がスカスカなので、簡単に見分けることが出来る。もっとも実が付いてないと見分けは困難だけど。ヤブヘビイチゴの方が日当たりを気にしない。毒はないのでみなさん食してみては? ちなみにどちらもマズイけど。


7月
 7月のキカラスウリは写真掲載日に「習志野写真館」にコメントを忘れずに書いた。しかし折角読者から感想と質問がきたのに、今度は返事を忘れてしまった。今更ではあるが、オレンジ色の実がなるのはカラスウリで、キカラスウリの実はもっと黄色い。なので、黄カラスウリなのだ。「実をすりつぶして足に塗ると走るのが速くなる」と言う話も最近の子は知らないのだろうなぁ。ウソだろうけど。


8月
 8月の写真で使ったセミの羽化だが、夕方から朝にかけて見ることが多い。昨年の夏、朝8時ぐらいになってもまだうろちょろしている幼虫がいた。どうも背中が割れなかったようで、羽化せずに絶命した。7年も土中で頑張ったのにかわいそうであるが、どうにもならない。

 この月にはナツアカネも撮影したのだが、写真をこのサイズにまで小さくすると、透明な翅はまったく見えなくなってしまったので、ボツにした。きれいに撮れていただけに、結構ショックだった・・・


1月
コセンダングサ1月のコセンダングサだが、種子部分を投げつけると洋服にくっつくので子ども達の遊び道具になっている。そのためか地域に依って呼び名が若干変わって「ひっつき虫」などと呼ばれたりしている。同じようなひっつく種子にはオオオナモミもある。この辺りではセンダングサよりも外来植物のコセンダングサの方が遥かに多い。左の写真は2004年11月27日に藤崎七丁目で撮影したこの草の花である。ちなみにアメリカセンダングサと言う外来種もあって、勢力争いをしているようである。


2月
 2月の写真はウスバフユシャクである。冬尺蛾(フユシャクガ)と言うのをご存知だろうか。日本からは36種知られていて、11月から3月ぐらいまでの夕方から深夜の小雪が舞うような寒さの中を飛翔する蛾の仲間である。メスは翅(はね)がない。同様に、オスには翅があるのにメスに翅がない虫として有名なのはミノムシだろう。産卵するのは当然メスであるから、飛ぶことが出来なければ卵も近くに産むしかないため、生息地域が限定されそうなものなのだが、実は翅がなくても飛べる。と言うのは、翅で飛ぶのではなく、蜘蛛のように尻から長く出した糸に風を受けて飛ぶのだ。なんとも便利なものである。蜘蛛が飛ぶ現象は、それらが見られる季節のため「雪迎え」とも言う。これらの飛翔現象の正式名称はBallooningである。

 フユシャクと習志野市には意外にも関連がある。今から40年前、この種の冬季に出没する蛾の研究がまだ進んでなかった頃のことである。研究用に間違いなくこの蛾を確保できる、とされた場所が習志野市だったのだ。その後研究が進み、至る所で見つかりだした。逆に習志野は開発が急速に進み、ブナやクヌギ林が失われ、その数は減っていった。

 それにしても、暗くなった真冬に外で網を持ってうろつくのは非常に度胸がいる。どうみても怪しい人である。


3月
 3月はヒロヘリアオイラガと言う蛾の仲間の繭だ。ウメの木やサクラなどの葉を何気に触ったとき、電気が走ったような痛みを感じた経験をお持ちの方はいないだろうか。これはイラガ科の幼虫の毒によるもので、抗ヒスタミン剤が効く。蟻酸に近い成分のようなので、アンモニアが効きそうな気がするが試したことはない。

 このヒロヘリアオイラガも外来種で、1920年に鹿児島で最初に発見された。海外から輸入された木材についていたものが羽化したと思わる。その後一旦姿を消すのだが、1970年頃再び九州南部から北部にかけて見られるようになった。さらに1976年に奈良県、1979年に大阪で大発生が観察され、現在は福島県付近まで北限を伸ばしている。習志野市にも非常に多い。

 一年を通じていろいろと観察してみると、明治以降に日本に入ってきた植物、昆虫がとても多いことに気付かされる。外来種と言うと今話題になっているのが「外来生物法」だ。詳しくは環境省のホームページを見て欲しい。この法案をめぐっては何年か前から大勢の専門家が議論している。オオクチバス や セアカコケグモ が外来種であることを知っている人は多いだろうが、植物の ニセアカシア(ハリエンジュ)や アカギ も「問題となっている外来種」となっていることはあまり知られていないようだ。他にも上記環境省のページの「外来種図鑑(FLASH版)」には多くの外来種が紹介されている。身近な外来種の代表、セイヨウタンポポは載ってないけど。

 外来種の問題は非常に奥が深く難しい。たとえば上記環境省の外来種図鑑の中で、その他問題となっている外来種として載せられている「セイヨウオオマルハナバチ」と言う蜂。この蜂は温室トマトを受粉させるために海外から連れて来られたものである。最大の利点は、在来のミツバチと違ってあまり花弁の奥まで口を突っ込まずに吸蜜するので果実に傷がつかないことだ。温室から逃げ出した一部が野生化し、また、在来種との間で交雑が起こるので深刻な問題である、とされている。確かに実験環境では交雑は発生しているようだし、環境省の報告では自然環境でも交雑が確認された、としている。しかし、二世代、三世代と進めるのかどうかについての研究結果が見当たらないので、本当に交雑種が延々と生息し続けるのか?と、疑問の声もある。この蜂に頼らずに温室トマトを受粉させるには手作業にて結実ホルモン剤を投与するのだが、この手間を考えるとトマトの価格は急騰するだろう。感情的にならず、冷静に科学的に検証していくことが大事だと思う。

 市内の開発は最近更に加速され、森林や湿地などの環境が急速に失われていっている。そこにこのような外来種が入ってくるし、昨夏の猛暑の記憶も新しく、温暖化による直接の影響、酸性雨も加わり、残されている自然の変化はものすごく早い。何が正しくて何が悪者なのか私には判らないが、とりあえずしばらく身近な自然の実体を細々とでも記録し続けていくことはとても重要なことのように感じた。

 最後に撮影に使用した機材だが、7月分までがCASIOのQV-3000EXで、その後はPENTAXのOptio 43WRである。WRは防水の意味で、小雨程度なら問題ない。と言うか風呂に沈めても大丈夫とのウワサ。といっても、シャッターは切れないけど。10mmマクロも気に入っているが、本当は一眼デジカメが欲しいよぅ。


参考文献:
・『習志野-その今と昔 新版』2004.12. 習志野市教育委員会/編者 習志野市役所/出版 
・『千葉県の保護上重要な野生生物』2001.3 千葉県環境部自然保護課
・『千葉県主要種子植物チェック・マップ』1997.8. 大場達之 千葉県環境部自然保護課 (千葉県植物誌資料特集 ; 2)
・『冬尺蛾』1986.1. 中島秀雄 築地書館(蝶蛾シリーズ9)
・『日本農業害虫大図鑑』2003. 全国農村教育協会

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  2005年5月  「代返」 村山和彦


 予告を出していた5月号執筆者がお休みになったため、代返です。大学時代に欠席の友人が教授に指されたとき、まだ新入生だから分からないだろうと私が代りに答えました。すると次に「村山君」と指名されてしまいました。すかさず他の友人が、「はい」と答えを発表してくれました。教授はなんとその友人を次に指名しました。新入生の顔と名前をちゃんと覚えてくださっていた教授は凄いです。4人目ぐらいでクラス全員謝ってしまいました。

 そんな私も今は東京理科大学で都市計画演習の非常勤講師をやっています。サラリーマンの時から都立大学、工学院大学、早稲田大学と非常勤講師を務めましたが、良い勉強をさせて頂きました。昭和40年代の都立大学の時は、教室の机の上に赤や青のヘルメットが載っている状況でやりました。クラスメート同士口もききません。それに比べて今は長閑です。

 東京理科大野田校舎の校門は流山市、本体は野田市にあります。校門があるところが所在地なんだそうです。大久保の日大も、校門は習志野市、本体は船橋市ですね。所在地の流山市はつくばエクスプレスの関連で15万の人口が6万人以上増える区画整理事業が進行中です。区画整理法には途中で止める条文がありませんので、始めたら終わりまで突き進むことになっています。時代の流れが変わった場合に突き進むとどうなるでしょう。そこで一昨年までは区画整理事業の破産整理の勉強をやりました。

 昨年の授業からは一変して、計画の6万人が喜んで新たに住んでくれる方法の提案を策定することにしました。学校を市民・行政・教育業者の共同経営にして、中高一貫教育校を市民参加で作ろうというものです。まず学校を建てる用地は市民共有地とします。流山市の宅地の課税標準評価総額は8000億円です。現在15万市民とこれから来る6万市民で宅地評価額の1%を拠出持ち寄って保留地を買い、学校用地とします。校舎は流山市に建ててもらいます。教育は、市民が期待する最良の教育を行う教育業者を公募して選びます。どのような教育が市民の期待する教育なのか、これを学生に考えてもらいました。

 食堂を設計するのに、ラーメンを売るのか、フランス料理を売るのかでデザインが違うだろう、どのような教育を売るのかでデザインは違わなくてはならない。どんな教育を売るつもりか?が最初のテーマです。昨年はこのウオーミングアップをやったのですが、昨年の売り物は【日本人としての誇りが持てる教育】でした。このような教育が保証されるのであれば、多くの人々が5千万円も6千万円もする住宅を買って住んでくれると、学生達は考えました。今年はまだ喧々諤々です。

 今後は独自の教育指導要綱を作って、地元の理科大、江戸川大を含め、要綱に沿った提案応募をしてもらう予定です。先生も、教育方針手法について提案公募しようとしています。7月には提案が出来上がりますから8月の新線開通にご披露するかな。機会があればご覧にいれます。

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  2005年6月  「お祭りばんざい」 西田健


  「お祭り」、「夜店」という言葉を聞くと、それだけで胸がわくわくしてしまう自分です。今回の話題は昔から神社等で行われている「祭祀」ではなく、地域の有志が小ぢんまりと始めた「お祭り」の話題についてです。地域住民が主催しますので、「てきやさん」は出てきません。

 私が住んでいるのは大久保でして、ここ数年マンションが数多く建ち、市内で最も人口の増加が激しい地域です。そのデメリットのひとつとして数十年続いている地域の自治会には入会できず、マンション毎に自治会を設立する形態になっています。ま、ゴミ捨て場にしてもマンションは個別に設置されていますし、百弱〜百数十世帯単位で自治会がある事自体はまとまりの面でも良いのです。けれども子供会しかり、お祭り等を催そうとすると、一から始めなければなりませんので、非常に大変です。

 私は8年程前に、マンションの初代副自治会長にくじ引きでなりました。何せ初代なので予算は無いし、伝統もありません。非常に多かった子供達の為に何か「お祭り」もどきをしたくても、大きな企画は立てられませんでした。八幡神社のお囃子の休憩所に選定されたのをこれ幸いに、お菓子の詰め合わせを自治会内の子供達に配るに留まらざるを得ませんでした。

 私の子供時代の記憶といえば、日々自然の中でやんちゃに遊んでいた事と、近場のお祭りに年に1,2回行く事でした。自分の子どもにも同じような楽しい記憶を残してやりたいと思いました。習志野に自然があるかどうかはおいておいて、せめてお祭り位は毎年体験させてあげたいという願いがありました。しかし、これも良くあるパターンですが、マンションの自治会は毎年持ち回りが多く、私も1年で役を離れました。一人で何かを企画する力も無いわけで、そのまま活動が活性化する事も無く日々が過ぎ去って行きました。

 その頃始まったのが「大久保ハミングさくらまつり」でした。私も当初の3年位は子供を連れて参加するだけだったのですが、いろいろな縁があって、序々に開催する側に立場が移って行きました。O157の問題もあって、食品販売に関してはその道のプロである地元商店の方々にお願いしています。しかしプロの出店となるとどうしても対象が大人向けや、せいぜい子供連れの大人になってしまいます。そこで私達は100円玉1枚でも楽しめる場の提供のお手伝いに勤しんでいます。ま、端的に言ってしまうと、昔ながらの駄菓子系・くじ系なのですが... ^^;

 儲かる分野では無いので、携わっているのは当初お祭りを立ち上げた方々や、小学校のPTAが主です。子供が大きくなっても、メンツが変わらないので、元PTAになりつつありますが。大人と一緒ではなく子供達だけでやってきても楽しめるの場所がいくつもあるという環境を今のところ維持できています。来場者も毎年増えており、子供達の楽しそうな笑顔を見るにつけ、まさに「お祭りばんざい」です。

 はじめは子供達の記憶に残る楽しい「お祭り」を作ってあげたいという思いだけでした。しかし実際にやってみると開催する側の大人達も非常に楽しいものです。

 皆様も参加されるだけで無く地域の「お祭り」開催する方に回ると、また新たな感動がありますヨ! それなりに疲れますけど、是非!

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  2005年7月  「中高年の登山ブームに思うこと」 Human播本


 我が母校の山岳部の存続が危惧されだして久しい。危険、キツイ、汚いの3Kが嫌われたのか。現在も極めて少人数の新入部員を迎えて辛うじて存続しているという状態のようだ。

 翻って、世は「中高年登山ブーム」。休日ともなると、関東の近郊といわず、周辺の名のある山の頂は人、人、々、々、々、の山。なんという皮肉であろうか。かくいう私も近在のハイキングクラブの一員として、その一人につらなっている。

 月に一回程度の山行ではあるが、この「中高年登山ブーム」の中にいる一人としてこれまで感じていた中高年登山の問題点とか、特徴を書き出してみたい。より安全で楽しい山登りにつながる提言になれば幸いである。

1. リーダーの能力不足、または不在
 登山は危険なスポーツである。低山では道に迷うし、高山ともなると落下などの危険度がなお増える。危険回避はリーダーの一番の責任である。当番のリーダーはいるにしても、果たしてどれだけのグループに責任のとれる体力・能力・経験を持つ真のリーダーがいるだろうか。先だって、岩手の焼石岳で遭難騒ぎがあったが、この例は極めてイージーな計画作成で、能力不足リーダーの例としては最たるものと思える。

2. 「金魚のふん」的メンバー
 リーダーに次いでメンバーの意識が問題。金魚リーダの後を、助けるでもなく、地図をみたり学ぶわけでもなく、ただ「ふん」のごとく、くっついて歩いている。メンバーは皆、リーダー見習いである。それに「ふん」でいるよりも山登りが楽しめると思うのだけどなあ・・・。

3. 道具持ちの、使い方知らず
 中高年はお金持ちである。その上お金さえ出せば、登山用具店で最新の用具がすぐ手に入る。お正月の燕岳に登れば、中高年による新品の登山用具のオンパレードを見ることができる。でも、その中の何人が適切な使い方をマスターした人達だろうと疑ってしまう。正しい使い方を知らなければ、ピッケルは自分の身体を傷つけるし、アイゼンは冬山では一番危険な転倒のもと。使い方をしっかりとマスターしよう。

4. うるさい
 周辺にラジオを聞かせながら歩く人、熊より人が危ないのに、鈴を鳴らしながら歩く人、歩きながらの声高のおしゃべり。登山道は騒音で溢れている。ラジオをとめ、鈴をはずし、口を閉じて、耳をすましてみよう。目を見開いてみよう。あなたの周りには、木をわたる風の音、鳥の声、小さなせせらぎ、葉々がこすれ合う音、可愛い花、きのこ、などなど今まで知らなかった素敵なものが見つかるはず。

 まだまだあるが、本日はこれまで。登山は最高の健康スポーツ。体力、能力、技術をアップしながら、安全で楽しい登山を続けましょう。

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  2005年8月  「時事ネタで行こう」 植松 弘樹


 時事ネタということで、最近、気になっている話題をば。

 最近、アメリカとの通商問題になっている牛肉禁輸、その根本原因でもある「BSE」牛海綿状脳症いわゆる「狂牛病」については、ある程度ご存知だとおもいます。人間に感染いたしますと、新変異型クロイツフェルトヤコブ病。新変異型、既知のヤコブ病とは違い、若年層にも発症し、不治の病です。原因はたんぱく質の一種である「プリオン」の異常。「プリオン」は生体の重要な構成物質の一つで、食品にも多く含まれております。この「プリオン」が通常のものと異常なものが入れ替わり正常な働きが出来なくなることで発症するといわれております。

 この、「プリオン」非生物のたんぱく質であるため、「死」という概念は当てはまりません。また、熱にも強く、分解されづらい特徴があります。

 重要な事は「非生物の異常プリオンが増殖」し発症するということ。その増殖のシステムには諸説ありますが、ウィルス等は介在せず、正常なプリオンが異常プリオンに接触することで変質する、という説が有力です。

 さて、他の物質で「これ」に似たような事例はないかと探してみましたら、不思議な事例に行き当たりました。

 薬局で手に入る「グリセリン」にまつわる話です。

 この「グリセリン」、1779年にスウェーデン人のカール・ウィルヘルム・シェーレが発見した無色透明の糖蜜状液体で、現在は薬局ならどこでも手に入る一般的な物です。18℃以下で「現在は」容易に結晶化します。

 「現在は」と書きましたのは、このグリセリン、発見から約100年の間、全く結晶化できず、いくら冷却しても液体のまま「グリセリン結晶は存在しない」が当時の常識でした。

 そんなグリセリン、19世紀初頭にウィーンからロンドンに貨物船で運ばれる途中、1樽だけ、何故か「結晶化」しました。原因は不明。全くの謎。この結晶グリセリンを種として液体のグリセリンの中に投入すれば、容易に結晶化グリセリンを作成することが可能になりました。その後、18℃以下でグリセリンが結晶化することが確認されると、世界中のグリセリンは種の必要なく、結晶化するようになりました。

 このグリセリンの種結晶、異常プリオンの増殖と似ておりませんでしょうか。判りやすいよう、グリセリンの話の要点を以下の2つとします。

1. 結晶化グリセリンを液体グリセリンに投入すると、液体グリセリンは結晶グリセリンになる。
2. 18℃以下で結晶化が確認された後は、グリセリンは容易に結晶化するようになった。


 さて、上記の結晶化グリセリンを「異常プリオン」に、液体グリセリンを「プリオン」に置き換えて見てください。

1. 「異常プリオン」を「プリオン」に投入すると、「プリオン」は「異常プリオン」になる。


 これは、現在、確認されていることで、事実となります。 問題は2です。

2. 「XXX」で異常化が確認された後は、「プリオン」は容易に異常化するようになった。


 プリオンが異常プリオンに「容易に変質する」条件が発見された時、どうなるんでしょうか。そんなことがないよう、切に祈るばかり。

と、うだる夏の日に思い描いてしまいました。

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  2005年9月  「アメリカのボランティア事情」 Terry


 ボランティア大国のアメリカでは、フルタイム換算で約6百万人の雇用に匹敵するだけのボランティアがNPO(非営利団体)で活動しているといわれています。人口の半分以上の人がなんらかのボランティアに関わっており、その活動は金額にして24兆円にも達すると推計されています。そんなアメリカでのボランティアの実際を少し紹介しましょう。

 私が現在住んでいるインディアナ州ブルーミントンは人口7万弱の小さな大学街ですが、ここにもたくさんのボランティアの機会があります。中学生つまりティーンエイジャー(13歳〜)になると一人歩きしてよくなり、ボランティアをすることができます。高校生や大学生は課目によってはサービスラーニング(社会経験による教育)のプログラムでボランティアが義務付けられたり、実際のNPOといっしょにプロジェクトを進めたりする課題でボランティアを経験します。あるリサーチによると、ティーンエイジャーの頃にボランティアを経験した人ほど大人になってからも積極的にコミュニティと関わったりボランティアを続けるそうで、「良き市民」育成の観点からも若い人のボランティアが奨励されています。ブッシュ大統領がつくった「大統領ボランティアサービス表彰」制度では、ボランティアをした時間が年間100時間を越えるとピンバッジ、表彰状そして大統領からのメッセージなどがもらえます。ボランティア経験は大学入試や奨学金の選考に有利になるだけでなく、職務経験に準ずるリーダーシップを養う機会として就職の際にも評価されます。

 このようなインセンティブがなくても、多くのブルーミントンの住民は気軽にボランティアライフを楽しんでいるようです。ワンダーラボはいわゆる小ぶりの子ども科学博物館ですが、1階と2階にはそれぞれ2人ずつのボランティアが2時間シフト4交代で毎日常駐していて、展示物の説明をしてくれたりブロックやシャボン玉でいっしょに遊んでくれたりします。白髪のご夫妻、科学好きの主婦、気分転換のフリーランサー、就職活動中の若者、大学生、高校生、ホームスクール(家庭学校)の中学生など様々な人がボランティアとして子ども達と遊んでいきます。ここのボランティアになるためには最初3時間ほどのトレーニングを受ければよく、後はボランティアコーディネーターに希望の日時を伝えるだけです。レギュラーで毎週来る人もいれば空いた時間が見つけてやって来る人もいます。ワンダーラボにとってこの様々なバックグランドを持ったボランティアパワーが展示物に一味も二味も加えてくれる付加価値なのです。

 このように、アメリカのNPOの多くは何らかの形でボランティアに依存していますが、一方で、逆にこのような社会参加の機会を必要としているのはボランティアをする側つまり市民サイドだという人もいます。ビジネス以外で市民が社会と関わりコミュニケーションを図ることが、現代の民主社会の健康を保つために必要であり、様々なボランティア活動はそういった市民活動の発露だというのです。

 また、ボランティアは金銭的な見返りを要求しませんが、だからといって何も求めないわけではありません。ボランティアをする動機は、純粋な「他利」、社会への義務感、宗教の教えからただの暇つぶし、表彰目当て、自己顕示欲など様々であり、これら個々の欲求に応えていくことはある意味、金銭で割り切るより手間がかかります。こういう観点からみますと、NPOがボランティアを求めるのは決して安易な労働力としてではないということがわかります。ボランティアの有効な活用には不特定多数の市民とパートナーシップを組む気概がなければなりません。

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  2005年10月  「お子様ランチ」 藤田


 山型のチキンライスに旗、そしてプリン。私が小さい頃デパートの食堂にあるお子様ランチはこんな風でした。現在はファミリーレストランをはじめ、色々な場所にお子様ランチがあります。チェーンの居酒屋にもあるんですよ。

 しかしお子様ランチ、親の立場から見て不満があります。

  • 野菜が少ない。申し訳程度に付くレタスや千切りキャベツは子供には食べづらい。
  • 着色料がたくさん入ったジュースやデザートが付くことがある。
  • おまけにつくおもちゃは溜まる一方。

 子供はおもちゃや見た目に惹かれてお子様ランチを注文するのですが、うちの子供はケチャップ味や生クリーム系が苦手。お子様ランチの定番であるチキンライス、オムライス、ミートソース、ハンバーググラタン等も嫌がります。結局フライドポテトだけ食べて他のものは「食べたくない」となることが多く、大人から取り分けた方がよく食べます。一番の好物はひじき煮です。

 うちの子に限らず、お年寄りが好むようなものを好む子供って結構いるようです。そこで、大人も子供も喜ぶお子様ランチを考えてみました。デザートとジュースは省略。

和食編
  • ごはん
  • のり、ふりかけ
  • ししゃも
  • 具沢山みそ汁(あさりが人気か?)
  • 小鉢(ひじき煮、切干大根、おひたし)
  • 煮物(芋やかぼちゃが人気)
  • 他に炊き込みご飯、おにぎり、うどん、鮭、豚汁、けんちん汁など
洋食編
  • パン
  • 具沢山スープ
  • サラダ(温野菜、スティックなど)
  • 唐揚げ、ウインナ、ゆで卵など
  • フライドポテト

 麺類もうどんの他に、野菜たっぷりのベトナムのフォーも子供に受けがよかったです。お好み焼きやチヂミも好きだし、一緒に野菜も取れていいかな。

 食べ易い形にすると苦手なものも食べたりします。例えば温野菜サラダを1口大にして、かわいい楊枝で刺すのもいいかもしれませんね。

 こういうお子様ランチがある店、是非教えてください。

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  2005年11月  「習志野市次世代育成支援対策行動計画について」 植竹


 あなたの子育て環境・職場環境で今年度から新しく始まった、または使いやすくなった、制限が緩和されたといった制度はないでしょうか。それはひょっとしたら「次世代育成支援対策推進法」(以下、次世代法とします)のおかげかもしれません。

 例えば、フレックスタイム制や在宅勤務の導入など。子育て中の会社員や介護をしている会社員、その他ボランティアや趣味など、仕事との時間を調整するために導入されています。フレックスタイム制度を利用し、お子さんの保育所への送り迎えができるようになったお父さんもいます。市内の子育て環境においては、市立幼稚園の預かり保育、こども園の設置、夜間保育、休日保育などが実施または予定されています。これらの制度を利用できれば、より生活しやすくなるかもしれません。

 以上の事例は次世代法に基づき策定された計画に含まれる制度のほんの一部です。次世代法は平成15年7月に国によって制定され、平成17年4月までに地方公共団体や300人超の労働者を雇用する企業に「行動計画」の策定を義務付けました。習志野市では「次世代育成支援対策行動計画」(以下、次世代計画とします)を策定しました。策定した内容の詳細は市のホームページから、
 習志野市ホームページ>市役所>こども部>習志野市次世代育成支援対策行動計画
をご覧ください。100ページほどで構成されている冊子、およびそのダイジェスト版も学校や公民館に配布されています。特に、ダイジェスト版は保育所を利用する全世帯に配布されています。まだ目を通していない方は是非読んでみてください。特に真新しい内容はほとんどなく、これまで行なってきた事業の継続拡大や延長線上にある内容がほとんどです。しかし、1つ1つの事業がまとまりをもって推進していく環境ができました。ひとりひとりがどうすれば住みやすい地域になっていくのかを考えるよい機会を次世代計画が与えてくれました。この機会に各事業を見直し、市民の意見や要望を事業に反映させ、より住みやすい習志野市にしていくことができるでしょう。そのためには、行政任せにするのではなく、我々市民が行政と協力して考え行動していく必要があります。また、制度だけでなく利用できる環境も構築していかなければなりません。

 それでは、どのように市民と行政が協力していけばよいでしょうか? 市では関係団体の代表や公募市民で構成される「次世代育成支援協議会」を設置し、行動計画の進捗状況の点検、評価を10月24日から開始しました。この協議会の結果は市民に公表することになっていますので、市のホームページなどで確認できます。私は参加している団体「元気に育て 習志野っ子」(保育白書2005、P.30に紹介あり)を通じて市へ提言する予定です。この団体では次世代計画の事業を含め、子どもに関わる分野について、関係団体を含めて話し合いを行なっています。個人で提言する場合は、例えば保育所保護者会の上部組織などの団体を通じて市へ発言するのが効果的だと思います。

 こうした評価と計画へのフィードバックによって、各事業が軌道にのっていくと思いますが、全体として私が期待するのは、行動計画策定時の1つの視点になっている「地域力」の向上です。地域として、子育てをする力があれば、安心して働けます。隣近所とよい繋がりがあれば、安心して住むことができます。地域力のあるまちで育った子ども達は元気に生活し、積極的に地域に貢献してくれるでしょう。習志野市がさらによいまちになる世代の循環がつくれるでしょう。次世代計画はそれを実現する1つのきっかけになると信じています。そのためにも、いまの大人達が努力して素晴らしいまちを子ども達に残していきましょう。
 もっと住みやすいまち習志野をつくりましょう!

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  2005年12月  「秋の夜長は映画で」 菊地正毅


 秋の夜長の過ごし方はおしゃべりか読書か。40代半ばを過ぎると、夜細かい字を枕元の明かりで読むのは目がつらくなってきました。さりとて話し相手は古女房、さして新しい話題もありません。

 でも最近は映画があります。幕張のシネプレックスがお気に入りで、最終上映時間が夜9時30分過ぎです。最終回は人もほとんどいなくて、ホームシアター状態で足を投げ出し小声で話しながら観ても、どなたにもご迷惑はおかけしませんよ。

 最近のお気に入りは、以下。


「キルビルvol.1」「キルビルvol.2」
東映やくざ映画に憧れたタランティーノ監督の作品。エンディングの<怨み節>は最高。

「ドッグヴィル」
ニコール・キッドマンの舞台映画。人間の奥底に潜む欲望を独特の手法で表現。

「きみに読む物語」
アルツハイマーで記憶をなくした老いた妻に夫は二人の人生を物語にして読む。そして二人は一緒に天国へ。

「ヴェニスの商人」
タイトルは知っていましたが、本は読んだことはありませんでした。アル・パチーノ主演、歴史物ということで期待していましたが今一歩。

「フライトプラン」
ジョディ・フォスター主演。今度観に行く予定。


 秋の夜長に、どうぞ皆様もご夫婦でお出かけください。



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