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右の説明文にマウスを載せるとここに写真が表示されます。 10月31日の磯出式場の準備風景
磯出式御旅所
2枚の竹矢来の間に舁夫が待機する
御塚の準備
御塚(前日)
御旅所に入る二宮神社の一行
御旅所に入る二宮神社の神輿
御旅所に入る子安神社の神輿。晒が巻いてある
竹矢来の中は暗くてよく見えない
頂いた安産のお守りの榊の葉と麻の緒

 幕張の磯辺に二宮神社(夫)、子安神社(妻)、子守神社(子守り)、三代王神社(産婆)の四社が集まり、安産神事が行われます。昔は海岸の砂浜でしたが、今は海まで2km、波の代わりに幕張の高層ビルが見えます。式は夜中なので暗い上に混雑するので、中の様子を予め10月31日に撮影しました。磯出式御旅所いそでしき おたびしょの配置図はこちら
 竹矢来を組むには同じ太さの竹を用意し、設計図を元にするそうです。三山の神揃場と違って竹矢来が二重に取り囲んでいます。式のときは間に舁夫が待機します。御塚は間に芝を挟みながら山砂で作り、雨にあたらないようにビニルをかけています。
 11月3日に日付が替わった頃、深夜にも関わらずお囃子が流れ、予想以上に大勢の人々が待ち構えていました。式場の隣のファミリーレストランは1:00にオーダーストップとなり、その後は関係者が休憩するだけとなりました。11月の夜中の行事ですから前々から心配でしたが、暖かく風の無い晩で助かりました。
 2:20 磯出式御旅所に夫にあたる二宮神社が到着しました。子守役の地元幕張の子守神社の神輿はすでに早くから安置されています。次いで妻にあたる子安神社、産婆にあたる三代王神社の神輿が到着しました。子安神社の神輿には十反の晒布を巻き、その上を麻で結んでいるそうですが、この腹帯は式場に入った後に外します。今回はテレビの録画が行われるためにライトがつけられていましたが、いつもは数個の電球だけで、1973(昭和48)年以前はそれすら無く暗闇の中で厳粛に執り行なわれたそうです。ライトを浴びた神輿は昼間よりもさらにキラキラ輝いて、とても美しい眺めでした。4基の神輿はいずれも南西、つまり海のほうを向いて御塚に安置されました。ついで、この神事で大事な役をする「両男女りょうとめ」と呼ばれる男女の稚児が白丁装束の人に背負われてやってきました。この両男女は前回の七年祭の年に生まれた子どもです。しかも子安神社の神官井原家とその親族6軒の社家の子どもに限ります。若夫婦にはなんともプレッシャーのようですが、さすがに歴代皇太子妃に毎回岩田帯を奉献する神社ですね。七年祭の最中かその年末までに必ず生まれると言われています。
 3:43、満潮に合わせるということで子安神社の神輿の前で安産神事が行われました。但し、2003/11/03の千葉の満潮は正確には1:22なのですが、最近は満潮よりも時刻で決めるそうです。 神輿の前に盥を置き、両男女が蛤を交換する儀式の時はカメラも停められ、強いライトは消されました。両男女の周りには役員がぎっしりと立ち並び、かすかに祝詞の声が聞こえてくるだけです。秘儀ですが、いくつかの資料の中に少しだけ神事の内容の記載、貴重な写真が掲載されています。
 霧が立ち込める中、あたりがぼんやりと神秘的でした。ただし霧はカメラの大敵、拭いても拭いてもレンズに水滴がついて、お見苦しい写真となってしまいました。
 神事が終わると竹矢来の中にいた人々が榊と蛤を取るために激しくぶつかり合います。その後、竹矢来の外にいる女性に分け与えてくださいます。これは安産のお守りになります。私も数枚の榊の葉と、同じく安産のお守りになる麻の緒を分けていただくことができました。大事に自宅の神棚に上げて拝みましたが、さてご利益のほどは如何?

見物するならココ
深夜から未明にかけての神事ですから、自転車か徒歩が良いでしょう。防寒具を忘れずに。
仮設トイレあり。近くにファミリーレストランも数軒。
暗い上に大勢の見物人なので、撮影にはストロボの大きいものが良さそうです。でも、神事の時は控えてね。
歩道橋の上も人でいっぱいになります。足元にご注意。

地図

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