HOME

三山の七年祭 最初に戻る back 神之台挙式 2 next
神之台挙式 1 花流し
右の説明文にマウスを載せるとここに写真が表示されます。 祝詞
神之台を出発する二宮神社の一行
四神旗
金棒の少年も夜明かし
神之台からは藤若が担ぐ
 
 
 
 
 

 神輿を安置すると挙式です。役員・金棒・菊田の人々は二宮神社の神主の祝詞とお祓いを受けます。舁夫達は少し先の広田家で休憩をしていました。
 以前は姉にあたる姉崎神社に無事祭礼の終了したことを報告するために、狼煙をあげて知らせ、姉崎神社もそれに応えて狼煙を上げたといいます。もともとこの神之台は火之口と呼ばれていました。東国に左遷された藤原師経が久々田(現在の津田沼)の海岸にたどり着いたものの、海上が荒れていたため一行の一部は現在の市原市姉崎に漂着しました。師経は無事を知らせるために大きな火を焚いたところがこの地だと言われています。「下総国千葉郡清地庄本郷素加天王神社」の記載には、師経一行が漂着したのは此浦辺とありますが、いずれにせよ師経一行はそこにしばらくとどまった後にやがて神山(三山)の二宮神社に居住する身となりました。そして一族の祖、藤原時平公を相殿に合祀しました。二宮神社の神輿が磯出式の帰路にこの火之口に寄るのは、この地で師常公の漂着当時を忍ぶためだそうです。
 因みに、藤原時平公は平安初期の公卿で、左大臣正二位左近衛大将になられた方で、同じく公卿で文人であった右大臣菅原道真を大宰府権帥に左遷したことで有名です。三百年も前に、三山大祭に参加する子安神輿が天神様を祀る長作神社を通過するときに大喧嘩したといい、また同じく菅原公を祀る飯山満の王子神社は三山大祭の時に大綱で縛る、その氏子は大祭日に絶対に三山に入るのを許されない、などの規定が明治初年まで行われていたそうです。
 7:20に神輿は藤若に担がれて、神之台から藤崎・田喜野井を経由して20:00に二宮神社に環御します。 

見物するならココ
お祓いの後に、一般の人も神輿のそばに寄る事ができます。神揃場にしても磯辺式にしても、御塚に安置された神輿を間近に見ることはできませんが、ここならば前で記念撮影も可能でしょう。ただし参拝のお邪魔にならないようにね。