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右の説明文にマウスを載せるとここに写真が表示されます。 二宮神社の神輿
子安神社の神輿
子守神社ごめんなさい、ここだけ神輿の写真がありません
三代王神社の神輿
菊田神社の神輿
大原大宮神社の神輿
時平神社の神輿
高津比神社の神輿
八王子神社の神輿
二宮神社と演芸大会のポスター
子守神社ポスター(左は見やすいように加工)
ご覧になるパソコンの設定によっては、神社名・神名の文字の大きさが揃わない場合があります。
JIS第1・2水準以外は文字化けする場合があるので、画像をはめ込んでいるためです。ご了承ください。

 幕張の子守神社はかつて素加天王神社といいましたが、「下総国千葉郡清地庄本郷素加天王神社」によると、1445(文安2)年に、下総国馬加城まくわりじょうの城主千葉康胤やすたね(平康胤)の妻が妊娠十一か月になっても出産の気配がなかったので、素加天王神主と宮山(三山)神主に安産の加持祈祷を命じたところ、満願の夜に両社の神が磯辺に移って奉斎すれば安産になるという神託がありました。九月十六日に神輿を素加の磯辺に移して祭事を行うと、海中から龍灯が上がって、素加神社(子守神社)へ飛来し、翌十七日に安産で男子が誕生しました。これによって領地の村々に触れて本郷素加の磯辺で安産の賽祭を行うようになったとあります。詳しくはこちらへ。
 また「素加天王社すがてんのうしゃ伝記」によると、276年前の享保12(1727)年からは丑・未年に行われるようになり、七年祭と称されています。6年毎ですが、数え年で「七年」となります。
 まず安産祈願御礼の祭事が二宮神社で行われ、その日の夜半から翌未明にかけて安産祈願の磯出祭を行うので「三山の祭は後が先」と言い囃されています。
 ところで習志野市には「屋敷やしき」という地名がありますが、この千葉康種の屋敷があったことに由来すると言われています。

 千葉郡のうち、二宮神社の注連下しめした二十一か村は以下のとおり現在の四市にまたがる広い地域で、千葉郡北西部(二宮荘)の総鎮守的な存在であったといわれています。

藤崎村ふじさき 実籾村みもみ 鷺沼村さぎぬま 久々田村くぐた 谷津村やつ 現 習志野市
長作村ながさく 畑村はた 武石村たけいし 馬加村まくわり 現 千葉市
田喜野井村たきのい 中野木村なかのき 飯山満村はさま 坪井村つぼい 古和釜村こわがま
大穴村おおあな 楠ヶ山村くすがやま 八木ヶ谷やぎがや 現 船橋市
麦丸村むぎまる 萱田村かやだ 大和田村おおわだ 高津村たかづ 現 八千代市

 このうち、七年祭に加わっているのは現在は二宮神社を含めて9社です。それぞれ家族や一族、お産に係わる人物になぞらえられています。

神社名をクリックすると写真・地図などの紹介ページへ飛びます。
二宮神社 にのみや 父君・夫 船橋市三山
子安神社 こやす 母君・妻 千葉市花見川区畑町
子守神社 こまもり 伝子役・子守役 千葉市花見川区幕張町
三代王神社 さんだいおう 産婆役 千葉市花見川区武石町
菊田神社 きくた 叔父君 習志野市津田沼
大原大宮神社 おおはらおおみや 叔母・姫宮・仲人 習志野市実籾
時平神社 ときひら 息子・長男・仲人 八千代市大和田萱田
高津比神社 たかつひめ 姫宮・娘 八千代市高津
八王子神社 はちおうじ 王子・末の息子 船橋市古和釜

 その昔は茨城、竜ヶ崎、埼玉の旧村からも参加したといわれています。
 尚、市原市の姉崎神社はに二宮神社の大姉神であると言われており、磯出式の終了時に姉崎神社に向って一礼するそうです。

見物するならココ
九社全体の地図はこちらから。1973(昭和48)年の資料から渡御の順路も描き入れてあります。
2003(平成15)年の各神社の移動時刻の一覧はこちら

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