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神揃場 1 昇殿 1
右の説明文にマウスを載せるとここに写真が表示されます。 神揃場に入る二宮神社の神輿
献幣使と参内傘
白丁装束の玉串と賽銭係
太鼓(中央)と笙(左)
横笛
金棒と世話人(藤若)
 
 
 
 

 菊田の次に二宮神社の神輿が田喜野井の舁夫「田若」に担がれて神揃場に入って行きます。神輿を担ぐ人を舁夫かきふと呼びます。「舁く(かく)」は二人以上で肩に担ぐことを意味し、「籠かき」などの言葉でご存知の方もいらっしゃるでしょう。揃いの半纏を着ています。この半纏を着ていないと、神輿を担ぐことができないので、飛び入り参加は無理です。二宮神社の舁夫は田喜野井の「田若」と藤崎の「藤若」の二組がいて、交替で担ぎます。三山の寅待会の舁夫は七年祭の大祭では担ぎません。
 行列の中の白丁装束の若者が首から下げている賽銭箱にお賽銭を差し上げると、玉串を持つ白丁装束の若者がお祓いをして下さいます。
 雅楽の人たちの後から、露払いとしてきれいにお化粧をした金棒が錫杖をつきながらやってきました。隣には世話人がぴったりと寄り添います。カメラを向けると恥ずかしそうに目をそらしてしまいました。
 参加する九社の最後に神揃場に来るのは子守神社で、幕張を出発するのが13:00、神揃場に到着するのは夕方近くだそうです。九基の神輿が一斉に並ぶわけではありません。詳しくはこちらへ。普通は三基くらいと言われています。1991(平成3年)のときは進行予定が遅れて、一度に六基も並び、非常に珍しがられたそうです。各神社の神輿の渡御の写真は後ほど「渡御」のページでご紹介します。

見物するならココ
神揃場の中へは一般の人は入れませんから、神輿を見るには道中か二宮神社境内が一番ですね。
 下の地図は1973(昭和48)年の時の二宮神社と神揃場の間の神輿のコースです。七曲ななまがりと呼ばれる旧道、緑色のコースを使います。
 ただし1973(昭和48)年に二宮神社が神揃場から戻るときは、桃色のコースを取りました。「旧例によるコース」と資料にありますので、それ以前もこのコースと思われますが、これは今とは違って菊田・八王子の次の3番目に神揃場を出発するのに、昇殿するのは最初なので、時間調整をするためでした。1991(平成3)年は神揃場出発は菊田神社の次でした。1997(平成9)年と今回2003(平成15)年は神揃場から最初に出発したので、時間調整は不要でした。
 二宮神社昇殿を終えて各々が地元に戻るには青色のコースを使うところもあります。これは第四駐車場から車戴される神輿と、徒歩で戻る菊田神社の神輿です。
 ところで旧道の名称は「七曲ななまがり」です。七や八は「多い」をさす言葉のことが多いですが、ここでは本当に七回曲がりますよ。神輿や山車を辻で方向転換するをご覧になると、大変さを共感されることと思います。
各神社の移動時刻の一覧はこちら、九社全体の地図はこちらへ。
地図

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