長い鉾を持った若者八名と御神酒・お札を持った若者数名、太鼓、先導役の氏子総代数名が付いて、二手に分かれて鷺沼四百軒の家々を回ります。昔から二手に分かれていたと言います。「悪事災難逃れるように」と大きな声で口々に唱えながら小走りの若者達がお祓いをして行きます。剣のドンドンと言う太鼓の音が春が来たぞと知らせているように感じたそうです。

 ほとんどは門口でお祓いを受けますが、玄関から縁側へござを敷き詰めて、土足のまま中を取り抜けられるようにしているお宅もあります。現在60代の「屋号:川端」さんは、子供の頃白装束の若者の後を追ってドサクサ紛れに土足で駆け抜けるのが楽しみだったとか。のろいと家人に捕まってひっぱたかれる、うまくすり抜けるのが楽しかったそうです。さすがに今はそう言ういたずら小僧さんの姿は見られませんでした。

 青年団、多くは消防団の若者に家の構造、家族構成、年寄り障害者の寝室を確認させる行事で、災害のときの救助活動が迅速に出来ていました、という解説も耳にしました。戦中戦後の記憶では、玄関から入ってすぐ縁側に抜けてしまうことが多かったそうです。玄関から玄関に戻るというようなことはなく、必ず一方通行でした。

 町内を回る若者は、昔は「若者」、徴兵検査くらいの者がなっていました。今年は高校生と中学生で結成されていました。白装束を身につけて小走りに駆け抜ける様子は初々しかったですよ。昨年は40代の「若者」が居たそうです。はじめは照れくさそうに、だんだん大声で「悪事災難逃れるように」と家々を走ってまわります。

 剣の時に一緒に配っているのは「ごしんしゅ」、御神酒〔おみき〕。それと「ごしんまい」、米です。「およね」とも呼ばれています。御神米にする米は、買ってきた米を次郎左衛門宅が頼まれて研いでいました。今年から研ぐのは省略したそうです。どうしてかな、だんだん変わっていくな、と次郎左衛門さん自身が語っていました。

 頂いた御神米は翌朝他の米と混ぜて家族みんなで頂きます。

 御神酒は杯やコップで頂き、当主やおじいさんが飲むそうです。各家をまわっている内に、お酒を補給に帰るのが面倒で、適当に井戸水を足したりするので、飲めたものではなかったこともあったとか。今年は一升瓶を太鼓の車に乗せて、そこから補給していました。

 お払いを受けるとき、ご祝儀を渡します。昔は30銭くらい、今は300円から500円くらいです。

 お払いを受ける人は、昔から誰と決まっていたわけでもなく、そのとき家にいた者が太鼓の音を聞きつけてお盆に杯と祝儀を準備して門口に立ちます。

 十五、六年前は氏子からの祝儀はまとめて納めていたという記憶の方もいらっしゃいます。

 祝儀をたくさん頂けそうな津田沼の商店街のほうまでかけて行くと、遠くからよく来てくれたと祝儀もはずんでくれたといいます。

集合 ねり 祈願祭 辻切り 宿 祭の夜 いわれ 参考文献

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