参考文献

『習志野市史 第一巻 通史編』 p550.

H7.3.30発行
編集者 習志野市教育委員会
発行者 習志野市役所 市長荒木勇
下記章の執筆担当 高見澤美紀(國學院大學大学院)

第3編近世  第八章庶民の信仰と文化  第二節近世の神社
八剱神社
 鷺沼村の根神社の末社で祭神は日本武〔やまとたける〕尊。創建年次は不詳だが、もとは久々田村の神でもあり、延宝6年(1678)に同村と出入りになったとき久々田村にも八剱神社を創建したというから、江戸時代前期の創建か。嘉永元年に拝殿の屋根の葺き替えをし、同5年には下宿の若者によって狛犬が造立された。狛犬の造立者から見ると、同じ鷺沼村でも根神社は上宿と本郷の神、八剱神社は下宿の神といった意識をもっていたようである。神主は根神社の村山氏が兼務しているが、それまで小祠だったのを、文化13年(1816))に広瀬次郎左衛門が中心となって間口五尺奥行五尺の本殿を建立した功績により、以後子孫が社守として管理するようになった。なお、このときの大工棟梁は印旛郡神々廻村(現白井町)の笹井杢之允藤原胤則であった。

根神社
 鷺沼の産土神で、祭神は面足〔おもだる〕命・惶根〔かしこね〕命・素戔嗚〔すさのお〕尊の三神。創建年次は不詳だが、一説には承平年間(931〜37)の鎮座といわれるから、平安時代中期の創建か。享保17年(1732)に本殿が再建され、安政5年(1858)には拝殿が再建されている。嘉永4年(1851)に上宿・本郷の若者によって狛犬が造立された。同5年のオビシャには25軒が参加している。神主は村山氏の世襲で、文政5年(1822)に当時の神主である村山蔀が、吉田家に金200疋を献上して末社の稲荷神社に正一位の号をもらっている。明治初期の本殿の規模は間口一間・奥行一間。


『習志野市史 第三巻 史料編(U)』 p624.

H7.3.30発行
編集者 習志野市教育委員会
発行者 習志野市役所 市長荒木勇

五 宗教  村の信仰

[312]嘉永5年11月鷺沼村八剱神社社守相続につき一札(状)
(本文省略)
(鷺沼・広瀬博也家文書)


『習志野−その今と昔』p85.

H2.6 初版発行
編集  習志野市教育委員会
監修  大谷貞夫(國學院大學教授)

第六章 資料  2 古社と祭礼.

 八剱神社(鷺沼3−16)の創建は不明です。・素戔嗚命・日本武尊を祀っています。例祭は3月1日と10月17日に行われます。

「剣」という祭礼
 八剱神社では、毎年3月1日に「剣」という珍しい祭りが行われています。
 鷺沼村の宿に氏子たちが集まり、天狗の面をかぶり、御榊を持った人を先頭に、身を清めた白装束の八人の若者が、長さ2メートルほどの剣をそれぞれ持って、鷺沼中をねり歩きます。神社で神主に祝詞をあげてもらってから、太鼓を前触れに、氏子の家々を土足のまま入り込み、家の中の悪霊を追い払って回り、村境で辻切りをします。村や家々の一年間の疫病退散・無病息災を祈願するものです。
 *辻切り  村の中に悪霊や病魔が入ってこないように村の入口で厄除けをすること。
 *祝詞   神様にお祈りすることば

 根神社(鷺沼1−8)の創建は不明です。面足〔おもだる〕命・惶根〔かしこね〕命・素戔嗚〔すさのお〕命・猿田彦神を祀っています。地域の産土神であります。通称権現台にあり、10月17日に例祭が行われます。

集合 ねり 祈願祭 辻切り 宿 祭の夜 いわれ 参考文献

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